2013年04月26日

源頼朝の父「義朝」の運命

その父 義朝は近臣 鎌田正清と共に、海側から野間へ向かった。
 野間とは現在の愛知県知多半島 美浜町の事である。
 ここには鎌田正清の舅で義朝も信頼を寄せる長田忠致(おさだ ただむね)が居たからだ。
前にも話した通り、戦いに負けた義朝にとっては、誰を頼りにするかは重要な事だった。
 つい昨日まで信頼できる人物だと思っていても、平氏の手が回り、寝返っている場合もありうる。
また平氏の手が回っていなくても自ら寝返り、手柄をたて様とする者もある。
例えば義朝に同情し一晩泊めただけでも平氏から賊軍と見なされ、
命を取られる場合も考えられる。
 そうして究極の選択をして訪ねたのが野間の長田忠致だった。
何よりも近臣 鎌田正清の舅であり、保元の乱のおりには逸早く
義朝と共に戦いたいと駆け付けた人物である。
義朝も長田忠致に厚い信頼を寄せ、
彼なら万が一の場合にも強い味方になって貰えると信じて彼を頼った。
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2013年04月19日

源頼朝の兄弟 次男「朝長」その2

次男 朝長は康冶2年(1143) 相模国(神奈川県)で産まれた。
兄の義平とは1つ違い、頼朝の6歳年上だ。
母は相模の波多野義通の妹だと伝えられているが、
実は遊女で波多野氏の養女になった女性だという説もある。
相模国の松田で育ち「松田冠者」とか「中宮大夫進」の名で呼ばれた。
15歳で平治の乱を父 義朝と共に戦い、太股に矢を受け負傷。
長男 義平とは性格も正反対で 戦嫌いだったらしく、体格も兄 義平とは違い細身で
顔は青白い程の色白で、虫も殺せぬ様な優しい性格だったとか、
イメージするなら頼りない のび太くん だろう。
その朝長の死は悲劇でしかない。
源氏の子として産まれたがために苦手な戦をせざるを得なかったし、
傷を負った事で源氏らしく死ぬ事を望まれ、それが出来ずに父に斬られ、亡くなる。
 義朝は、朝長の部屋に向かい我子に刀を振り落とした。
平治元年(1160)12月29日(2月8日説あり)朝長15年の生涯だった。

父 義朝は翌朝 妾の館を出発する。
 「朝長はしばらく休ませてやってくれ」と言い残して旅立った。
のちに延寿によって朝長は葬られ、墓は円興寺にある。
「青墓」の地名は 朝長の墓があった事から付いたものだと言われている。




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2013年04月12日

源頼朝の兄弟 次男「朝長」

そして翌日2人の息子は美濃 青墓の宿を出発した。
義朝は2人の出発を見送り、自分も海周りで三河へ向かう準備を整えていた。
ところが・・・次男 朝長が青墓の宿に引き返して来て
 「平治の乱で負った矢傷が痛くて歩けないので もうしばらく休ませて欲しい」と告げる。
父 義朝は、我子の余りの不甲斐無さに怒り、刀を向けた。
源氏の大事な時に 源氏の御曹司であるこの子は 敵に向かって勇敢に戦う事は出来ないだろう。
もしも敵に囲まれ最早是迄となった時にも、自ら腹を斬る事すら出来ず敵に命乞いをし、
惨めな死に方をするであろう。それは源氏の恥となる。・・・・ならば」
という思いがあったに違いない。
 しかしそれを妾 延寿が止めた
「ようやく逃げ延びた大切な我子を我手に懸けるなどお止め下さい。」
 と延寿の言葉に義朝は一旦 刀を納めた。
休む様に案内された部屋で朝長はひとり、父 義朝を待つ、そして死を覚悟した。
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2013年04月05日

源頼朝の兄弟 長男「義平」その3

とにかく・・・源頼朝の兄 義平は戦上手の頼れる存在で「平治の乱」でも父と共に戦った。
想像する限り、父 義朝にとっても義平は時に、手に負えない息子だったかも知れない。
当時はまだ、長男だから家督を継ぐ、という習慣はなく
嫡子はその子を産んだ母親の家柄や身分によって選ばれる事が殆どだった。
遊女が母の義平はそう言う意味では不利だったと言うしかない。
義平にとって頼朝は、本当に可愛い弟だっただろうか?もしくは邪魔な存在だったのではないか?
 そんな状況の中で頼朝は一行とはぐれてしまい、父 義朝は2人の息子と青墓に到着した。
おそらく源氏の棟梁 義朝は息子達にこう言っただろう・・・
「この先は皆 別々に行動を行う。
 僅かな人数でも共に行動すれば怪しまれるし、敵に囲まれれば全滅してしまう。
 それぞれが違う地方へ向かい、各地の源氏を集め 何れ集結しよう。
 今や源氏再興の為には、その方法しか無い。
 長男 義平は美濃・北陸・信濃(長野県)へ、
次男 朝長は信濃(長野県)甲斐(山梨県)へ向かえ。
 我は尾張・三河(愛知県)から相模(神奈川県)へ向かい関東武士を集めよう!」
ってな感じではなかっただろうか?


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