2013年05月31日

頼朝の兄「義平」運命 その2

「平治の乱」以降・・・平氏は絶大な権力を握り、家来の数も増えていましたが、それでもまだ、
「社員募集中」の状態が続いていて それは猫の手も借りたい忙しさだった。
そんな中、志内景澄(しうちかげすみ) の家来として 源 義平 が入社。
もちろん身分は明かせるはずも無い、景澄が元 源義朝に仕えていた事は既に皆も承知していて、
義平も疑われるのが当然の状況だった。
実は、この志内景澄という男は、とても小柄な男で、背も低く、痩せていて、
平氏の家来の間でも「小さく貧弱」な事で有名だった。
その景澄に最近、やたら図体の でかい 家来 が出来たらしいと館内では二人の噂で持ち切りで
小さな景澄の後ろを、でっかい義平が付いて歩く様子が 皆の笑いの種になっていた。

 ある日の事、二人の部屋に食事のお膳が運ばれて来た
身分によっておかずの内容が違う為、景澄の前には「魚の膳」が、
義平の前には「菜の膳」が置かれた。
膳を運んだ者が去り、二人きりになった時、志内景澄は自分の前の「魚の膳」を義平の前に置き、
義平の前の「菜の膳」を自分の方へ引き寄せたのだった。

しかし、この様子を陰から見ていた者がいた。
二人の様子を噂にして笑ってやろうと障子の陰から こっそり覗いていた。
まさか「膳」を置き換える光景を見る事に成るとは思わずに・・・・・。
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2013年05月24日

頼朝の兄「義平」運命

各地で伝説を残しながら義平は旅をし、旅の途中で弟 朝長や父 義朝の死を知る事と成った。
青墓の宿を出る時には、父 義朝より「源氏の兵を集める様に」
と言われていた義平だが状況は一変。
義平は京の都に引き返す事を決意する。都は義平にとって危険な場所である事に違いはないが
 しかし、1人となった今は平清盛を討つ事でしか、源氏の再興は望めないと考えていたのだろう。
義平は大きな身体を小さくして、秘かに平清盛の館の前を見張り様子を覗っていた。
何とかして館の中に忍び込めないものかと考えていた。
その時、見覚えのある顔が館に出入りしているのを義平は目にする。
それは、以前源氏に仕えていた家来 志内景澄(しうちかげすみ)だった。
義朝は見覚えのあるその顔を見た瞬間にカッとなり、
自分が隠れていた事も忘れて、
志内景澄の首根っこを捕まえると「裏切り者!」と言って怒鳴りつけた。
義平の顔を見て驚いた志内景澄だが・・・・
「私とて、心の底では源氏の再興を願い望んでおります。しかし私の様な力の無い者では、
 どうする事も出来ません。生きて行く為には平氏に従うしか道は無いのです。」と答えた。
志内景澄の言葉にやがて心静めた義平は、
「お主が本当に源氏再興を望むのであれば、
 平清盛の館に忍び込む なにか良い方法は無いか考えよ」
と言い、志内景澄は苦し紛れに答えた。
「今や天下を握った平清盛邸では、人手不足でございます。
 義平さまのお顔は ごく一部の者しか知りませんから変装し、
 私の家来であると言って館に潜入しては如何でしょうか?
 まさか源氏の御曹司が家来となって忍び込むとは誰も考えますまい。」と。
「それは良案」だと義平は、志内景澄の言葉に従い無事に館に入る事に成功したのである。
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2013年05月17日

頼朝の兄「義平」の伝説

源頼朝にとって2番目の兄 朝長が亡くなり、父 義朝が亡くなった。
その頃、父の死を知らず源頼朝の兄 義平は美濃国 青墓の宿を出発してから
北陸を目指し旅していた。
義平の伝説は各地に残り、そしてその殆どが山深い里の話しで、
その一つが福井県九頭竜川の上流和泉村(穴馬村)に伝わっている。
 
穴馬の「朝日の里」の村の長は 朝日助左衛門という男で、
その助左衛門には「お光」という娘がおり。
義平はこのお光と心通わせ、お光のお腹には義平の子供が授かった。
しかし義平は旅の途中であり、源氏の御曹司として源氏再興に力を尽くさなければならず
その為、村を去る事になった。
村を出る時 義平は、お光に「一振りの太刀」と「一管の笛」を渡し、
「もしも 生まれて来る子が男の子ならば、この太刀を渡し、源氏の子として育てて欲しい。
もしも女の子ならば、この笛を渡して欲しい。」と伝えた。
生まれてきたのは女の子だったそうで、この時の笛は「青葉の笛」として朝日家に代々伝えられ、
現在も37代目の子孫により大切に保存されている。

※ ただし・・・各地の義平伝説は、実は「平治の乱」以降のものでは無く、
 どうやら「乱」以前のもであると専門家の間では言われている。
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2013年05月10日

源頼朝の父「義朝」の運命 その3

源義朝の側近 鎌田正清は 逸早くその気配を感じ、義朝の脱いだ着物を纏うと、
敵の中に影武者となって 「 我こそは源義朝なり! 」 と出て行った。
義朝を助けたい一心での行動である。
正清の声に風呂に入っていた義朝も敵に気付くが 時既に遅し、あえなく襲われ斬られてしまった。
この時 義朝は 「 あの太刀があったならば・・・・ 」 と一言残して最期を遂げたと伝わる。
野間にある大御堂寺(野間大坊)の義朝の墓は、参拝者の奉納した木太刀に埋もれている。
「 あの太刀が 」 と思いを残した義朝の霊を慰めるために奉納された物だそうだ。
また、境内には義朝の首を洗ったと伝わる「首洗いの池」があり、今も義朝の無念を伝えている。
これが平清盛と対等に戦った源氏の武将 源義朝のあっけない最期である。

ドラマチックな展開にするために一旦「厚い信頼を寄せた長田忠致」という事で話しを進めたが
果たして事実はどうであったのか?
これがもしも「他に頼るあても無く、究極の選択で選んだ長田忠致」であったならば・・・

平治の乱で義朝が破れた事を長田忠致も既に知っていた。
僅かな側近と共に都を逃れ東に向かったという噂だ…
ならば私を頼ってここに現れるかもしれない。そう考えていた。
その時の身の振り方を考えておかねばならない。
いくら戦に敗れ落ちぶれていても刀を振らせたら敵う相手ではない。
ここは一旦、招き入れるフリをして風呂を勧め、太刀を奪わなければならない・・・。
と、ドラマは大きく変り、より現実味を帯びてくる。
どちらの長田忠致が真実であっただろうか?それは長田忠致の心に聞いてみるしかない。
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2013年05月03日

源頼朝の父「義朝」の運命 その2

源頼朝の父 義朝も、近臣 鎌田正清も厚い信頼を寄せた長田忠致・・・
と描く事が本当に正しいのか?
もしくは、他に頼るあても無く、究極の選択で選んだ長田忠致・・・と描く方が正解なのか?
実のところ、悩むところではあるが、とにかくドラマチックな展開にするために
一旦「厚い信頼を寄せた長田忠致」という事で話しを進めよう。

勿論、長田忠致も既に平治の乱で義朝が破れた事を知らされていた。
そしてその安否を心配しながら過ごしていた。
義朝が自分を頼りに訪ねて来た事を知ると、忠致は涙を流して喜び、屋敷の中へ招き入れた。
門前払いされても仕方ない状況で招き入れられた事に義朝も安堵する。
久方振りに真面な食事をして、その後 風呂を勧められ義朝もその好意に甘えて風呂に入る事にした。

清和源氏のその嫡男として生まれ育った義朝は、誰しもが認める武士の中の武士だった。
その武士の中でも「刀」を持たせたら右に出る者はない事で有名だ。
「太刀」ひとつ有ればどんなに立派な「刀」を相手が持っていようとも勝てる自信があった。
武士は如何なる時も「刀」を肌身離さぬもの という教育を受けて育った義朝は、
風呂に入る時も寝る時も「太刀」を持ち、放す事は無かったし、
この時もいつもと同じ様に湯殿で着物を脱ぎ、太刀を持って入ろうとした。
しかし「太刀」を持ち風呂に入ろうとした義朝の姿を見ていた長田忠致は、悲しげに言った。
 「殿 風呂に入る時ぐらい太刀はお放し下さい。何かある時は私が必ず殿をお助け致します。
 それではまるで この忠致を信頼できぬと言っているかの様です。私の顔をお潰しあるな」と・・・・
無理を言って世話になっている相手から そう言われ、
義朝は太刀を脱いだ着物と共に置き、そして風呂へと向かった。
現実には、その瞬間が何時であったか長田忠致 本人にしか分かり得ない事だが、
義朝が風呂に入るのを見届けて、長田忠致はふと考えた。
「私を信頼して義朝様は我館に来て下さった。
 がしかし、義朝様がここを出てから後に、平氏にこの事が分ったら・・・・」と。
「ならば・・・今この時、平氏に知らせを送れば、大きな手柄となるのではないか?」
長田忠致は身の危険を感じ、平氏に報せを送った。
そう・・・おそらく忠致は もうずっと前から義朝が自分を頼ってここに来る事を予期していただろう。
すでに、その時が来たら自分はどうすべきかを考えていただろう。
門前で追い返す事も出来たはずだが忠致は一先ず義朝を屋敷に通した。
そして隙を見て平氏に報せを送った。
それが長田忠致の出した結論だった。
平氏の力を恐れての事だから仕方ないが、結局 義朝は裏切られたのである。
間も無く平氏側の武士により、長田忠致の館と湯殿は取り囲まれてしまった。
posted by KANCHI at 11:57| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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