2013年07月26日

頼朝を救った人物 池禅尼 その3

辛い立場の父 忠盛を陰で支えた女性として清盛は尊敬し、
自分が産んだ2人の子 家盛・頼盛が居るにも関わらず清盛を嫡子として認め、
育ててくれた母として感謝し、実の母親よりも池禅尼を大切にした。
この池禅尼の産んだ2人の息子についても触れて置きたい。
先に生まれた家盛は清盛を実兄の様に慕い、生真面目で穏やかな性格だった。
父にも兄にも良く従い平氏を陰で支える大事な役割を担っていたが29歳の時 病で亡くなった。
弟の頼盛は、そんな兄 家盛を見て育ち、朝廷に媚びる様に白河院の子(清盛)を貰い受け、
その子を嫡男とする父 忠盛にも 義兄 清盛にも反感を抱いていた。
母 池禅尼の悲しみを思い、実子である自分こそが平氏の棟梁であるべきだ
と言う思いを抱き続け、生涯に亘り清盛との対立があった。
それだけ、母への思いが強かったのかも知れない。
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2013年07月19日

頼朝を救った人物 池禅尼 その2

やがて その子が生まれ忠盛がそれを伝えると白河天皇は、その子に「清盛」の名を与えた。
その話しが真実味を増す 話しが伝えられている。
白河天皇に仕え御所の警護をしていた平忠盛は、祇園女御が子供を産んだ事やその成長の様子を事ある毎に歌を詠んで報告し、また天皇も、歌で答えていたと言う。
ある時、夜泣きがひどく大変だと噂に聞いていた天皇は
 「夜泣きすと ただもりたてよ 末代に 清くさかぶる 事もこそあれ」
と忠盛に歌を詠んだ。
…夜泣きしても ただ守りをしておくれ忠盛よ 後にはきっと清く盛える事になるであろう。
という意味の歌で、この歌を贈られた忠盛がその子に「清盛」と名付けたそうだ。
清盛の母 祇園女御は派手好きでワガママな女性だったらしい。
新しい着物を強請り金遣いも荒く、清盛はそんな母を嫌っていたが
父 忠盛は1度もそんな母をとがめる事はしなかった。
父を慕い尊敬しながら成長した清盛はやがて本当の父親の名を知る事となる。
清盛は以前にも増して忠盛への想いを強くした。
その父が心を許し通わせた女性が居た。
それが藤原宗子である後に忠盛の妻となり清盛の義理の母となる池禅尼(いけのぜんに)である。
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2013年07月12日

頼朝を救った人物 池禅尼 その1

それでは頼朝の命を救った 池禅尼 (いけのぜんに)について触れておきたい。
池禅尼は出家してからの呼び名で、本名は 藤原宗子、平清盛の父 平忠盛の後妻である。
後妻という言い方が正しいかどうかが分からないが
清盛が物心付いた頃に忠盛の正室として迎えられているので、
清盛から見れば父の後妻で、清盛の弟 家盛と頼盛の実母である。

平清盛の母は 祇園女御 (ぎおんにょご)と呼ばれ時の天皇、白河天皇(法皇)の妾で、
派手な事が大好きで 贅沢三昧の生活をしていたと伝わる。
白河天皇の子をやがて身ごもり、困った天皇は平忠盛に祇園女御の面倒を看るよう命令された。
つまり 平忠盛にしてみれば無理やり結婚させられたのと同じ事だ。
白河天皇から選択の余地なくお古の妻を与えられ、腹の子も我子として育てる様に委ねられた。
白河院は前妻の子 堀河院との対立を避けるため祇園女御の懐妊を知り、
それを平忠盛に押し付けたのだ…。
白河院は自分の2人の子の1人を天皇に、
もう一人を武士のトップにする思惑を抱いていたのかも知れない。
その思惑を忠盛が黙って受け入れ嫡子として育てたからこそ忠盛は優遇され、
平氏は大きくなって行ったのだ。
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2013年07月05日

源頼朝の強運 その3

平宗清の目的は清盛からの恩賞だったはずだ。
しかし彼はせっかく捕えた頼朝をすぐには清盛に差し出さなかった。
美濃から京へ向かう途中で平宗清の気持ちに何らかの変化があったのだろうか?
平宗清は池の禅尼に頼朝を会わせようと考え事前に手回しをした。
一説には…はじめ可愛げもなく子供のくせに冷静沈着だった12歳の頼朝が
都に向かう旅の途中に父や兄の死を知り、震えて泣いたと言う。
その姿を見た宗清の心が動いたのかも知れない。
平頼盛の家来であった宗清だったからこそ出来た手回しだ。
宗清自身も「自分になら、自分にしか救えない」と言う思いが芽生えていたのだろう。
しかし実は、はじめに頼まれた頼朝との面会を池の禅尼は断っている。
どうしても会わせたいと思った宗清は 半ば強引に頼朝を池の禅尼に会わせたと
幾つかの小説には描いてあって、真実性の程は分からないが、
宗清の 頼朝の命を救いたいと言う強い思いが感じられる。
この宗清との出会いが、そして池の禅尼との出会いが頼朝の運命を変え、
歴史を動かすのだから不思議だ。
posted by KANCHI at 11:29| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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