2013年09月27日

源頼朝の誕生 その3

教科書に出てくる様な人物なら、その生まれた環境や生い立ちを
もっと詳しく正確に知りたいものだと思うが、残念ながら叶わない。
その記録などどこにも存在しないし想像と推測の域を出ないのが残念だ。
どんなに凄い功績を残した人物であったとしても、
この世に産まれて来たその瞬間はただの赤ん坊に過ぎない。
例えばかなりの権力者の嫡子として生まれてきても その将来が保証されている訳ではない。
ましてや源頼朝のように平氏が蔓延る時代に源氏の子として生まれた者に
将来の保証などあるはずもない。

しかし、だからこそ頼朝の父 義朝にとって頼朝は、
出世の為の期待の星だったとも言える。
正妻となった由良御前も、己の立場を理解し、源氏のために
血筋と肩書きを使える限り発揮させた。その証の一つが乳母の存在である。
血筋とそれなりの肩書きがなければ乳母が付く事は無いし、
逆に言えば乳母が存在することが、新たな肩書きとなる。
産みの母 由良御前は頼朝を産んだだけで、
おそらく生まれて直ぐに頼朝は乳母の元に引き渡され育てられた。
どうやら乳母(めのと)は数人いて 実際に乳を与える者の他に
教育を担当するのが主な役割だった。
つまり乳母チームが結成され そのリーダーを乳母と言った。
源頼朝の場合は比企尼(ひきのあま)である。
乳を与える必要がなくなっても乳母の屋敷で育てられる事が通常で
産みの母に会う事は殆ど無かったらしい。
後継ぎとして生まれた男子にとって「母」とは産みの母の事では無く
育ての母「乳母」の事を指すのである。
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2013年09月20日

源頼朝の誕生 その2

源頼朝の生誕地に関しては前にも触れた通り・・・。
頼朝の母 由良御前が熱田神宮の宮司 藤原季範の娘だった事から
由良御前の実家があった現在の愛知県名古屋市熱田区白鳥の誓願寺(せいがんじ)
だろうと言う事だ。
つまり頼朝の母についても少し触れた事になる。
頼朝の父 義朝には この由良御前の他にも奥様が沢山いたが
その殆どが旅先(出張先)で知り合った遊女や家来の娘で
義朝が自ら選んだ つまり「恋愛結婚」と言う感じだが
由良御前に関しては その身分の高さから肩書きを重視した
「お見合い結婚」であっただろう事が伺える。
作者によっては、由良御前が一方的に義朝に惚れ込み、
半ば強引に、押しかけ女房的に結婚した様な描かれ方をしている物もあるが
何れにせよ義朝の内心は源氏に有利な肩書きを重視した結婚だったと言わざるを得ない。
頼朝は父 義朝にとって出世の為の期待の星だった。
自分の出世だけでは無い・・・源氏という一族にとっての
大きな野望の星だったのである。
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2013年09月13日

源頼朝の誕生 その1

生き残った源頼朝が伊豆に流刑となる話しをする前に 源頼朝の誕生について触れておこう。
源頼朝が生まれたのは久安3年(1147)日、旧暦では4月8日。
つまり源頼朝の干支は「(うさぎ)」
星座は「おうし座」って事になる。
生まれた場所「生誕の地」とされているのは
愛知県名古屋市熱田区白鳥2 誓願寺(せいがんじ)
熱田神宮の西側 国道19号線を挟んだ所にある。
この場所は当時 熱田神宮の大宮司 藤原季範の別邸があった所で
藤原季範の娘 由良御前が久安3年(1147)実家に帰り頼朝を出産したとされる。
寺の入口には「右大将 頼朝公 生誕地」の石碑がある。

名古屋にはもう一つ、頼朝の生誕地がある。
愛知県名古屋市瑞穂区井戸田町4 龍泉寺(りゅうせんじ)
熱田神宮の東方 約3.5kmの所にある。
この場所は津賀田神社の祠官である亀井六郎重清の屋敷があった所で
亀井六郎重清の母が頼朝の乳母を務めたとされ
寺の入口に頼朝の産湯の井戸とされる亀井水の石碑が建っている。
しかし、本当に名古屋で生まれたかは不明だ。
どちらも「ゆかりの地」であるにはあるが確信はない。
おそらく頼朝は京都で生まれただろうと想像できるからである。
posted by KANCHI at 22:05| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月06日

源頼朝の強運

誰も、この偶然の対面を目撃し、記録に留めた訳ではないだろう。
ましてや平清盛の本心など分る者などいるはずもない。
歴史の中で起きた事など、全ては結果から推測したものに過ぎないが、
殺されるはずだった源頼朝が生き残った事が事実であり、
その決断を清盛がくだした事も事実である。
そして その決断をくだした理由は、清盛の心の中で起きた事で推測に過ぎない。

しかし、その後の常盤御前の屋敷には、時より清盛の通う姿が見られ
清盛の妻「時子」はその噂を耳にして清盛をとがめた。
「敵の妻を傍に置き、通う姿を家来達はどう見ているでしょう?」
「女が必要であれば他に何人でも置かれれば良い事、常盤だけは・・・。」と言われ、
平清盛はやむを得ず常盤を他所へ嫁がせた事が分かっている。

清盛の優しさか?それとも平家物語の冒頭に記されている様に
清盛のおごりがそうさせたのか?とにかく清盛の決断は平家一族に取って
間違いであった事に変わりない。
魔が差した清盛は誤った決断をくだし、それにより源頼朝は生き残ったのである。
posted by KANCHI at 19:31| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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