2013年10月25日

源頼朝の流刑生活 その2

源頼朝が伊豆 蛭ヶ小島に流刑となったのは13歳の時である。
伊豆には東に伊東氏が、西には北条氏が、どちらもその見張り役を果たしていた。
平治の乱で平氏が勝利してから世の中は 平氏中心に動き従った。
いかに忠実に平氏に従うかで自分たちの運命も変る。そんな時代だった。
当時 誰も想像さえしなかっただろう・・・この13歳の流刑人が
いずれ平氏を滅亡させ幕府を開く事など。
つまり蛭ヶ小島での頼朝の生活など 誰も注目さえしていなかった。
蛭ヶ小島に流刑となった頼朝がどこでどう暮らそうと
生き様と死のうと、知ったこっちゃ〜ぁない。
頼朝に仕え蛭ヶ小島で共に暮らした家来ですら
そんな凄い13歳だとは思っていなかっただろう。
もしも 後に鎌倉幕府を開く人だと知っていたら頼朝の「一語一句」洩らさず記録しただろう。
頼朝の暮らしについて記録に残るのは頼朝が30歳の頃
伊東氏主催の伊豆の巻狩りに頼朝が参加した頃からである。
既に17年の歳月が流れていた。空白の17年間である・・・
この頃になって ようやく頼朝の存在は注目される様になった。
世の中が平氏の行う政治に疑問や不満を持ち始めた頃である。
もしかすると この流刑人・・・使える奴なのかな?というレベルだっただろう。
頼朝の空白の17年間は父や兄の冥福を祈り、平清盛や池禅尼に感謝して
「お経を読んで過ごした」という一言で片付けられている。
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2013年10月18日

源頼朝の流刑生活 その1

源頼朝が流刑生活をしていたとされる伊豆の蛭ヶ小島には
現在 頼朝と政子の像が立っている。
蛭ヶ小島については連載の中でも描いたが
伊豆最大の河川 狩野川が昔 現在よりも大河だった頃にその中州に出来た場所で
蛭が居そうなジメジメした土地だった事から その名が付けられた。
水の多い時には沈んでしまう様な所だったと想像できる。
その場所が頼朝の時代にどんな様子だったかは正直言うと分らない。
蛭ヶ小島の他にも周辺には「××小島」という地名が多くあり かなり広い範囲に亘る。
現在の蛭ヶ小島がそうである様に 既に川の中州では無くなっていたのかもしれないが
私の想像では・・・頼朝は川の中州に連れて来られ ポツンと1人、
或はお供の家来と数名でしばらくの間 中州に立ちすくんでいた姿を思う。
鎌倉時代 伊豆に流刑になった日蓮上人が波が来ただけで沈んでしまいそうな
小さな俎岩(まないたいわ)と呼ばれる岩礁に
船で連れて来られたと伝えられているのと ほぼ同じような光景ではなかったか?
流されて直ぐは 意地も開き直りもあって動かないかも知れないが
しばらく過ごせは その場所がずっと居られる場所でない事は明らかだし
日蓮も漁師に助けられたとされているが 自分で泳いで渡ったとも考えられる。
頼朝も川の中州にいつまでも居たとは思えない。
川を渉り、その周辺に地元民の力を借りながら小屋でも建てて暮らしたのであろう。
頼朝がどんな状況でここに到着したか?到着した当時どうだったのか?そんな記録は無い。
流刑地 蛭ヶ小島を「頼朝の流刑地はこの辺りだ」と推測し定めたのも
江戸時代後期の学者 秋山富南であるし
今よりちょっとだけ鎌倉時代に近い?
古い時代の学者の言葉を信じるしか他に方法がないのが実情である。
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2013年10月11日

源頼朝の誕生 その5

源頼朝の誕生は頼朝の父 義朝や母 由良御前は勿論の事
周囲の者に大きな期待と希望を与えただろう。
今をときめく源氏の嫡流の誕生である。
「是非 私に乳母を!」と願い出る者も多かったに違いない。
多くのライバルを差置いて幸運にも乳母の座を手に入れたのが比企尼・・・
比企一族の勝利!一族の将来は約束された様なものだった。
頼朝は周囲の期待通りに成長し12歳で元服し
皇后宮権少進(こうごうぐうごんのしょうしん)という官職についた。
頼朝の出世は乳母の出世である。

しかし間もなく「平治の乱」は起き 頼朝は生き残ったが流刑の身となった。
一度 頼朝の母となり13年も育てて来たのだから
例え先行きの見えない流刑人であっても支えなければならない。
比企尼はそれをやり遂げたのである。頼朝の生活を支え、全てを支えた。
期待の星「頼朝」の復活!源氏再興を誰よりも強く願っていたのは
この比企一族だったかも知れない。
現に流刑人 頼朝と共に伊豆に同行し身の回りの世話をした安達盛長も
早くから家来となった河越重頼も
伊東祐親の息子でありながら頼朝を支援した伊東祐清も比企尼の娘婿たちである。
比企尼は頼朝の為に出来る限りの力を尽くし
その生涯を頼朝の母として生き抜いたのである。
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2013年10月04日

源頼朝の誕生 その4

なぜここで改めて「源頼朝の誕生」について書いているかと言うと、
先ずは頼朝の育ての母「乳母」について知ってもらう必要があったからで、
生まれてすぐの赤ん坊 頼朝には勿論だが、この先の人生にも乳母の存在は欠かせない。
事実 頼朝が伊豆に流刑になってからの生活は経済的に比企尼が支えた。
多少は由良御前の実家 藤原季範からの援助もあったらしいが
その援助をお願いしたのも比企尼だった可能性がある。
現在の私たちにしてみれば「他人なのにどうしてそこまで?」と思いがちだが
乳母は実母よりも深い関係にあったのである。
特に頼朝の場合には 実母 由良御前が早くに亡くなっているので
実母との関係は薄くなり
乳母リーダー比企尼が頼朝の命の鍵を握っていた。
比企尼が支えたのは経済的なものだけでは無かったのである。
posted by KANCHI at 09:59| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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