2013年10月18日

源頼朝の流刑生活 その1

源頼朝が流刑生活をしていたとされる伊豆の蛭ヶ小島には
現在 頼朝と政子の像が立っている。
蛭ヶ小島については連載の中でも描いたが
伊豆最大の河川 狩野川が昔 現在よりも大河だった頃にその中州に出来た場所で
蛭が居そうなジメジメした土地だった事から その名が付けられた。
水の多い時には沈んでしまう様な所だったと想像できる。
その場所が頼朝の時代にどんな様子だったかは正直言うと分らない。
蛭ヶ小島の他にも周辺には「××小島」という地名が多くあり かなり広い範囲に亘る。
現在の蛭ヶ小島がそうである様に 既に川の中州では無くなっていたのかもしれないが
私の想像では・・・頼朝は川の中州に連れて来られ ポツンと1人、
或はお供の家来と数名でしばらくの間 中州に立ちすくんでいた姿を思う。
鎌倉時代 伊豆に流刑になった日蓮上人が波が来ただけで沈んでしまいそうな
小さな俎岩(まないたいわ)と呼ばれる岩礁に
船で連れて来られたと伝えられているのと ほぼ同じような光景ではなかったか?
流されて直ぐは 意地も開き直りもあって動かないかも知れないが
しばらく過ごせは その場所がずっと居られる場所でない事は明らかだし
日蓮も漁師に助けられたとされているが 自分で泳いで渡ったとも考えられる。
頼朝も川の中州にいつまでも居たとは思えない。
川を渉り、その周辺に地元民の力を借りながら小屋でも建てて暮らしたのであろう。
頼朝がどんな状況でここに到着したか?到着した当時どうだったのか?そんな記録は無い。
流刑地 蛭ヶ小島を「頼朝の流刑地はこの辺りだ」と推測し定めたのも
江戸時代後期の学者 秋山富南であるし
今よりちょっとだけ鎌倉時代に近い?
古い時代の学者の言葉を信じるしか他に方法がないのが実情である。
posted by KANCHI at 13:15| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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