2013年11月29日

源頼朝の思春期 その1

源頼朝の謎の流刑生活を勝手に想像して見よう。
伊豆の巻狩りに参加した30歳からの行動は何となく知られているが
それまでの17年間は分かっていない。
13歳の時には家来2人に連れられて伊豆 蛭ヶ小島に流刑となった。
狩野川の中州、或は川の周辺に小屋を建てて暮す。
経済的援助は比企尼や 頼朝の母 由良の実家 藤原氏から・・・
身の回りの世話は2人の家来・・・そして近所のおじちゃんおばちゃんに助けられ
そうして頼朝は お利口さんに暮らした。
命を助けられた事に感謝し、父や兄の冥福を祈り 毎日 お経を読んで暮す。
命乞いをしてくれた池の禅尼に、そして苦渋の選択をしてくれた平清盛の気持ちを裏切るまいと
必死で お利口さんを演じ続けたのだと思う。
毎日 三島大社に通い、生きている事に感謝して手を合わせた。
そんな頼朝の姿勢に、頼朝の見張り役だった伊東祐親も北条時政も
胸を撫で下ろしていたに違いない。
頼朝への警戒心は何時しか無くなり、
伊豆に源氏の嫡流が暮らしている事すら忘れ去られてしまった。
それが13歳〜20歳までの頼朝の流刑生活だっただろう。

静かに暮す頼朝に少しずつ変化が起こるのは20歳を過ぎた頃である。
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2013年11月22日

流刑人 源頼朝の生活 その2

源頼朝の流刑生活には蛭ヶ小島の周辺に住む
多くのお節介焼きな人々の存在が欠かせなかっただろう。
流刑人ではあっても 近所の人達にとっては13歳の子供であり
源氏の嫡流であり、読経に明け暮れる真面目な少年で 好感が持てる。
そんな頼朝の生活を想像させる話しの一つが
伊豆の国市いずのくにし)」旧 韮山町の原木にある成願寺に伝わっている。
いつの頃からか頼朝は三島大社に通う様になる。
源氏の再興を願うためだったと伝わっているので既に少年ではなかったかも知れないが
神信心は「源氏再興」を願う前から行っていたとも思われる。
三島大社に通う途中 1人のお婆さんが餅を売っていた。
頼朝はお婆さんと親しくなり 餅を貰ったり
時にはお婆さんが餅を持って蛭ヶ小島を訪ねる事もあったらしい。
少年 頼朝はこの餅にどれだけ励まされた事だろうか?
餅を頬ばりながら頼朝は「いつか必ずお礼をする」と心に誓っただろう。
成願寺は後に頼朝がお婆さんの為に建てたお寺である。
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2013年11月15日

流刑人 源頼朝の生活

源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流刑となった13歳から
伊東氏の主催する「巻狩り」に参加した30歳までの17年間の事は
正直に言うとはっきりとした記録がない。謎の17年間である。
どうやら20〜27歳の間に伊東祐親の娘 八重姫と出会い恋もしているらしいので
特に20歳までの頼朝がどんな暮らしぶりだったのかは 全くの空白である。
しかし伊豆の人々に助けられながら頼朝は成長し生き延びた。
そして成長した頼朝は徐々に注目を浴び始める。
平氏の政治に不満や疑問を抱き始めた人々が頼朝に近付き
源氏の再起を促し始めた。
慎重な頼朝が直ぐに行動を起こす事は無かったが
「巻狩り」に参加した事は大きな変化と言って良い。
それまでの頼朝は父や兄の冥福を祈りお経を読む毎日を過ごしていた。
しかし巻狩りは殺生である。読経とは正反対の行為なのだ。
参加とは言っても頼朝がいきなり狩りをした訳ではないだろう。
伊豆の伊東氏が権力の象徴として主催した「巻狩り」に呼ばれ
始めは見学していたのではないだろうか?
しかし頼朝は確実に「巻狩り」に感化され伊豆の各地で狩りの練習を始めるのである。
頼朝は読経漬けの生活から自分を開放して行ったのではないだろうか?
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2013年11月08日

源頼朝まとめ

本日、多忙のためブログ休みます。
posted by KANCHI at 21:08| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月01日

源頼朝の家来 1号2号

源頼朝が伊豆に流刑になった時、すでに仕えていた家来がいる。
どうやら2人いたらしいが その1人が安達藤九郎盛長である。
安達盛長に関しては頼朝の乳母 比企の尼の娘婿だという事は分っているが
もう1人の家来 野三郎成綱(やさぶろうしげつな)に関してはあまり資料がない。
後々まで頼朝に仕えるが、流刑の時 なぜ従う事になったのかは明らかになっていない。

とにかく13歳の頼朝はこの2人の家来に支えられて蛭ヶ小島で暮らしたらしい。
どうやら2人の他にも仕える者はいたらしいが どこの誰だか?何人いたのかすら明らかでない。
例えばその時代、私が伊豆の蛭ヶ小島の周辺に暮らしていたら
頼朝の流刑の噂は聞き及んだだろうし、いくら流刑人とは言っても
源氏の嫡流だし、13歳だし、興味も湧くし同情もするだろう。
畑でとれた野菜や芋を持ってマメに通ったかも知れない。
おそらく そんな族(やから)が頼朝の周辺には沢山居て、
頼朝は そんな有難た迷惑な人達に支えられながら、お利口に暮らしたのであろう。
頼朝を経済的に支えた比企の尼や頼朝の母の実家 藤原季範よりも
周囲に住む おじちゃんおばちゃんの方が頼朝との関わりは強かったのではないだろうか?
posted by KANCHI at 20:49| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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