事件「曽我兄弟の仇討ち」で若き日の自分を思い出したのではないだろうか?
皮肉にも曽我兄弟の父 河津祐泰が亡くなったのは安元2年(1176)10月
伊豆「奥野の巻狩り」の時だった。
あれから時は流れ、苦手だった伊東祐親は自害して果てた。
工藤祐経は頼朝の重要な家来となり、父 河津祐泰を失った5歳と3歳の幼子2人は
22歳と20歳の立派な若者に成長していた。
兄の一萬丸(5歳)は再婚した母 満江御前に連れられて曽我祐信のもとで成長した。
弟の箱王丸(3歳)は箱根権現に預けられ、稚児として育ったが出家を嫌がり元服したのである。
5月28日の夜は雨が降っていた。闇と雨音に紛れて十郎祐成と五郎時致の兄弟は
工藤祐経の寝所に忍び込み遊女と寝ていた祐経を呼び起こし斬り付けた。
兄弟は「仇討ち」を見事に果たしたのである。
しかし、その騒ぎで御家人達が集まり兄弟はあっと言う間に取り囲まれた。
兄 十郎祐成は五郎時致を逃がし、たった一人で10人余りの御家人を斬ったが
仁田忠常に斬られ、その場で息絶えた。
一方の弟 五郎時致は頼朝の寝所に向かったが女装していた五郎丸に捕らえられた。
五郎時致は仇討ちに至った経緯と その思いを必死で頼朝に訴えた。
頼朝の脳裏に若き日の伊豆での生活が甦った。
亡き父や兄への思いを胸に秘めながら暮らした日々が兄弟の思いと重なった。
頼朝の中には 五郎時致を許す思いが生まれていたが
惨殺された工藤祐経の嫡子 犬吠丸(いぬぼうまる)が涙ながらに訴える様子を見て
翌日29日、五郎時致も処刑されたのである。
兄弟の17年の長き思いは遂げられ、念願は叶ったが、2人の命もあっけなく終わりを告げた。
これが日本三大仇討ち話しの1つ「曽我兄弟の仇討ち」の経緯である。
しかしこの「曽我兄弟の仇討ち」は ただの「仇討ち」ではない。
ひとつ間違えば日本の歴史を大きく変える「歴史的大事件」だったのである。
事件の背景には「源頼朝 暗殺計画」が隠れていた。
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