2008年12月22日

源頼朝の死の謎

源頼朝をこよなく愛する者としては複雑な想いもある。
彼が本当に苦しまずに死んだのなら 本人の為に「良い死に方だった」と思う反面
その後の彼の「政」を見てみたかったという想いもある。
長生きだけが良いとは思えないが頼朝の死は あまりに突然すぎた。
その上 源頼朝の死の真相は明らかになっていない。
通説となっている「落馬説」は吾妻鏡に描かれている記述である。
この「吾妻鏡」は頼朝の死後 70年程後に鎌倉幕府を支配した北条氏によって
描き上げられた物で内容は北条氏の功績を中心にして描かれており
頼朝の死に関する文章は極めて短く、詳しくは描かれていない。
「建久9年(1198)12月27日に頼朝が落馬して死亡した」という様な内容である。
あまりに短く簡単に描かれている事から
詳しく描けない理由があったのではないかと言う疑いさえ浮んでくる。
頼朝の死について触れている書物は「吾妻鏡」の他にも様々あり
「飲水の病」や「亡霊に呪われた」など死因がばらばらで
明確に詳しく描かれている物は一つもない。
僅かに残る記述だけを手掛かりに推論すると
橋の落成式で源頼朝は落馬した。
落馬した頼朝は頭を強く打ち脳内出血を起こしたのではないか?
それと同時に中枢神経を痛めたとも考えられる。
「飲水の病」が落馬した後であれば中枢神経を痛めた事で多尿となり、
多くの水を飲む必要があったと考えられるし、
もしも落馬前から水を欲しがっていたとすれば糖尿病だった事も考えられる。
しかし重要視すべきは落馬した後の様子ではない。
何故 頼朝は落馬したのか?ではないだろうか?
本当に「酒に酔っていたから」だけなのか「脳卒中などの病気」があったのか?
或は飲まされた酒に毒など入れられてはいなかったのだろうか?
あっけない頼朝の死に 謎は膨らむ一方である。
posted by KANCHI at 09:09| Comment(1) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おお

Posted by at 2013年11月21日 20:53
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