2009年07月27日

源頼朝の意思を継ぐ4代将軍

源頼朝が亡くなる直前、既に幕府と朝廷の間には緊迫していた。
頼朝が朝廷を攻めるという噂が流れ、お互いの出方をうかがっていた。
一説には 頼朝の出方を恐れた朝廷が 一部の御家人と密通し頼朝暗殺を企てたと言われている。
頼朝が亡くなった本当の理由は永遠に分からないが
朝廷と密通していた御家人がいても不思議はない。
頼朝亡き後 頼家、実朝と将軍は変ったが鎌倉幕府は不安定に揺れ続けた。
武士の結束が弛み、幕府の力は弱まっていた。
その代わりに将軍をないがしろにして執権の勢力が強まっていたのである。
和歌を通じて実朝と親しくしていた後鳥羽上皇は執権 北条義時を嫌っていた。
実朝の死をきっかけに執権の力が更に強まる事を避け
実朝のいない幕府に無理難題を押し付けて来たのである。
一気に幕府の力を削ぎ、朝廷の力を見せ付けるつもりだった。

朝廷の意向を汲み4代将軍に選ばれたのは左大臣 九条道家(くじょうみちいえ)の子
藤原頼経(ふじわらよりつね)だった。
血筋で言えば頼朝の異母妹の曾孫だが、僅か1歳のお飾り将軍である。
そして その後見役を務めたのは頼朝の妻 北条政子であった。
実朝亡き後、悲しみに暮れていた政子だったが承久元年(1219)7月
揺れる鎌倉を救うために「我こそが真の4代将軍である」と言って武士の前に立った。
頼朝の意思を継ぐ者は自分しかいないと強く確信したのである。
人々は政子を尼将軍と呼んだ。
posted by KANCHI at 07:54| Comment(0) | 頼朝の雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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