2011年03月07日

源頼朝の幕府「鎌倉」呪詛の理由

源頼朝の時代に限らず、明治を迎えるまでのいつの時代も
天皇は大天狗だっただろう・・・
またそうでなければ天皇などは務まらない。
本当の心は見せず、権威で人々を操り
人々がどれだけ自分を崇拝するかを眺めて楽しんでいる。
都に憧れを抱き、都から嫁を迎え、
都人の様に和歌を詠んでいた実朝には
どれだけ朝廷の恐ろしさを理解できていただろうか?
自分たちの都合で力のある武士をおだて戦わせ、
心の中では武士が力を付ける事を嫌っている。
天皇と同じ趣味を持てば心通じると信じていたのか?

必要以上の官位を欲しがる実朝を朝廷はどう評価していたのか?
後鳥羽天皇 個人はどう評価していただろうか?
それで実朝の詠む和歌が天皇好みであったら
状況は変わっていたかも知れない。
しかしその歌を実は鼻で笑っていたとしたら・・・?
おそらく朝廷にとって実朝はただの「おのぼりさん」だっただろう・・・
偉大な頼朝が亡くなり、その息子であったために たまたま将軍になった実朝・・・
官位が欲しいなら与えておけばいい。と
おそらく その程度の存在だったに違いない。
ならば最勝四天王院を建立してまで後鳥羽院が鎌倉呪詛した理由は何なのか?
呪詛したかった相手は誰なのか?
posted by KANCHI at 10:42| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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