2011年12月12日

源頼朝の時代背景 その8

源頼朝の運命を左右したのは白河院だと言っても過言ではないだろう。
白河院の行いが鳥羽上皇と崇徳天皇の憎悪を作りだした。
表向きには父と子、現実には甥と叔父の関係なのだから話しはややこしい。

少し前に
白河院の後妻 祇園女御が育てた養女 藤原璋子(しょうし)後の待賢門院(たいけんもんいん)
白河院は初め摂政 藤原忠実(ただざね)の息子 忠通(ただみち) に嫁がせようとしたが 断られた。
事は書いたが、その仕返しのつもりか、その藤原忠実がその後に
娘の勳子(いきこ)を鳥羽天皇に嫁がせようとした時、
白河院はこれを阻止し、強行に藤原璋子を嫁がせたのである。

白河院が亡くなった後も璋子は子供を沢山産んだが、
鳥羽院は白河院への恨みを晴らすかのように以前 阻止された勳子を皇后として迎えた。
この勳子には子は産まれなかったが、その後鳥羽院は
中納言 藤原長実(ながざね)の娘 得子(とくし)後の美副門院(びふくもんいん)
更に皇后として迎え3人の妻を持ったのである。
2人目の妻は女御として迎えるのが通常だが鳥羽院は3人を皇后とした・・・
これは明らかに白河院への逆襲だろう。
抑え付けられてきた鳥羽院の反動が更にドロドロを産み
頼朝の運命も左右されていく。
posted by KANCHI at 18:16| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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