2011年12月15日

源頼朝の時代背景 その9

源頼朝の父の時代に起こった保元の乱は
元々このドロドロ劇の末に起こるべきして起きた乱である。
まさに天皇家の血筋の乱れに乱れた「乱」と言っていいだろう。
祖父である白河院に逆らわず、言われるがまま
摂政 藤原忠実(ただざね)の娘 勳子(いきこ)を諦め
白河院の勧めるがまま
祇園女御が育てた養女 藤原璋子(しょうし)を皇后として迎えた鳥羽院だったが
その白河院が亡くなると鳥羽院の逆襲が始まった。
一旦は諦めさせられた勳子を2人目の皇后として迎え
更に中納言 藤原長実(ながざね)の娘 得子(とくし)を3人目の皇后とした。
さらに得子が男子を産むとこの子を3歳で即位させた。
体仁(なりひと)親王のちの近衛(このえ)天皇である。
勿論、叔父であり子でもある崇徳天皇は退位させられた。
posted by KANCHI at 21:06| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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