2012年05月14日

源頼朝も裏切った?父「義朝」

源頼朝の兄 義平が父 義朝の命を受けて宝刀「友切」を奪う為だけに
叔父 義賢を殺した・・・という設定ではじまった今回。
是までのイメージから一転し、いきなり義朝一人が悪者にされ、父の為義が、
側近の鎌田正清が「上り様について行けない」と・・・
そして幼き頼朝までが「その頃の私は父に微かな軽蔑の念さえ抱いていた」と本人も語った。
皆の心が義朝から離れて行く。清盛も我子を使って兄を殺したと自ら打ち明けた義朝を殴った。
しかしその反面、清盛の妻 時子だけが義朝の優しさに気付き清盛を諭す。
諭された清盛が守るべきものに気付き、鬼となる。
鳥羽院の危篤に駆け付けた崇徳院を鬼となった清盛が追い返す。
「情けを捨て苦渋の選択をした」と、頼朝も語った。
18回19回と2週に亘り、事実はどうであったか判らぬまま、
鳥羽院と崇徳院の仲を取持とうとする清盛の心の動きに拘った理由は
このドラマが当初から描こうとしていた「身内同士では争わない平氏の姿」を
強調するためだったのだろう。
そしてまた源氏の義朝は、清盛の対照として一転の悪者にされたのだ。
決して義朝は「友切」を奪う為だけに長男 義平に命じて弟 義賢を殺したのではない!
おまけに、罪のない秩父重賢まで序でに殺したかの様に描かれているが、それも違う!

余談かも知れないが源氏の名誉のために少し触れておこう。
武蔵国に秩父重綱という男が居た、彼には長男 重弘と次男 重隆という息子が居たが
家督を継いだのは次男の重隆だった。その重隆の娘婿となったのが義朝の弟 源義賢だった。
一方、家督を継がなかった長男 重弘には重能という長男がいた。畠山氏の祖で畠山重能と名乗っていた。
※畠山重能・・・のちに頼朝の右腕として使える畠山重忠の父。
  武蔵国大里郡畠山荘(現在の埼玉県深谷市)

また 秩父重綱には後妻が居たが次男の重隆が家督を継いだ事に不満を抱いていた。
この後妻は源義平の乳母だった。乳母と言っても乳を飲ませるだけが役割ではない。
この時代の乳母は育て母であり産みの母より深い関係を持った。義平の育ての母だ。
その二人、義平の乳母と畠山重能、そして新田氏などが手を組み 秩父重隆と対立していたのだ。
そして大蔵合戦が起きた。
義平は乳母の為、そして京に戻った父 義朝の代わりに戦ったのだ。
「友切」はその戦の目的ではない、この戦の結果、こちらが序でである。
更に余談だが、この時 敗れた義賢には2歳の息子がいた・・・。
密かに斎藤実盛が連れ出し木曽の地に逃がした。のちの木曽義仲の事だ。
何をどう書き加えても源氏が源氏同士で戦った事に変わりはないが、
とりあえず書き加えてみた。
次回はいよいよ 悪ぅ〜い顔になって来た信西について触れてみよう。
posted by KANCHI at 13:42| Comment(2) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。歴史・版権ブログのシャングリラ管理人をしています“やたろう”と申します。

私も頼朝は好きです。頼朝のどこが良いかと言えば、暴君呼ばわりされているが本当は生真面目で情けある人だった実像でしょうか。そこはライバルの清盛にも似ていますね。

そうした頼朝の魅力を愛している方に出会えて嬉しいです。今後ともよろしくお願い致します。
Posted by やたろう at 2012年05月14日 21:30
やたろうさん
コメントありがとうございます。
コチラこそ宜しくです。^_^
Posted by KANCHI at 2012年05月14日 22:47
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