2012年11月09日

源頼朝がスケベな理由

源頼朝は私の知る限り女好きだ。
世の中の女性達は「女好き」という言葉にあまり良いイメージを持っていないだろう。
女好きとはつまりスケベだという事だ。
やはり世の中の多くの女性達には好まれない言葉かも知れない。
 実は私も20代の前半までは、どんな男性がタイプ?と尋ねられて
誠実で頭が良くて夢に向かって突き進む人でスケベじゃない人。とか答えていた。
しかし基本的にスケベじゃない男性を好きになった事は1度もない。
男が「女好き」で「スケベ」なのは極く普通の事で、
そうでなければ夢に向かって突き進む事も出来ない。
男は女にモテるために必死で働く生き物だ。
今の私は強く望む!岡田将生のような爽やかなイケメンも根っからスケベであって欲しいと。
そして世の中の女性に是非ともご理解頂きたい。
スケベにもいろいろある事を・・・その種類を見極めるのが女の力量だと。
こんなはずじゃ無かったと思った時は、見極められなかった自分を恥じよ。

源頼朝はスケ殿と呼ばれていた…スケベの代表のようで実に潔い。
と頼朝を弁護する様な話しをしてから、それは同時に
頼朝を愛する自分への弁護でもあるが・・・
私の思い描く源頼朝と北条政子について触れていこう。

頼朝は一説には尾張国 熱田で産まれたという説がある。
それは頼朝の母 由良が熱田神宮の宮司 藤原季範の娘である事、
そして頼朝の乳母の一人だったという人物の住まいが神宮のそばにあり
産湯の井戸だと伝わる史跡がある事が根拠になっている。
私もこれまでブログの中で頼朝ゆかりの地として紹介している。
http://yoritomo.seesaa.net/article/126875771.html
しかし頼朝は京都生まれの京都育ちだと実は私も思っている。
正妻の由良がずっと尾張に居たとも考え難いし、
由良がこの時代に実家に帰って出産したとも考え難い・・・
なぜなら新幹線も高速道路もない時代だからである。
京の都で育った頼朝には一夫多妻は当たり前の環境だ。
その上、ここからは私の想像と希望が多く含まれた表現だが
生まれながらにして品があり、女にモテた・・・周りの女が放っとかない。
今で言う天才子役の様な魅力があったに違いない。
その状況と環境が頼朝を「来るもの拒まず」に育て上げたのだろう。
池の禅尼だって・・・女ですから「この子カワイイ」と思ったんじゃないのか?
「殺しちゃうのは惜しいんじゃない?」と・・・
かなり年上の女性にも自分はモテる!という自信も付いちゃったかもね。
そのまま伊豆に流された・・・思春期の頼朝。
頼朝の流刑生活を経済的に支え続けた比企の尼も
やはり頼朝の可愛さにやられちゃってた一人だと想像出来る。
伊豆の流刑生活で出会った「餅売り婆さん」の話しも・・・
http://yoritomo.seesaa.net/article/132071923.html
言っておきますが伊豆に流させた時 頼朝はすでに13歳ですよ。
よちよち歩きの赤ちゃんじゃない!カワイイの意味がやや違うのではないか?
お経を読み、写経して神信心して暮らす約束はしたものの
他にする事もなく・・・おまけにモテちゃう。
仕方ない!仕方ない!これは頼朝が悪いんじゃない。
周りの女が放っとかないんだから・・・。
そんな男に北条政子が惚れちゃった。ただそれだけの事なんですよ。
浮気で苦労するのは当たり前。それぐらい覚悟の上で居てもらわないとぉ〜
と頼朝に惚れてる私は思う訳であります。
posted by KANCHI at 01:01| Comment(0) | 頼朝の恋愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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