2013年04月19日

源頼朝の兄弟 次男「朝長」その2

次男 朝長は康冶2年(1143) 相模国(神奈川県)で産まれた。
兄の義平とは1つ違い、頼朝の6歳年上だ。
母は相模の波多野義通の妹だと伝えられているが、
実は遊女で波多野氏の養女になった女性だという説もある。
相模国の松田で育ち「松田冠者」とか「中宮大夫進」の名で呼ばれた。
15歳で平治の乱を父 義朝と共に戦い、太股に矢を受け負傷。
長男 義平とは性格も正反対で 戦嫌いだったらしく、体格も兄 義平とは違い細身で
顔は青白い程の色白で、虫も殺せぬ様な優しい性格だったとか、
イメージするなら頼りない のび太くん だろう。
その朝長の死は悲劇でしかない。
源氏の子として産まれたがために苦手な戦をせざるを得なかったし、
傷を負った事で源氏らしく死ぬ事を望まれ、それが出来ずに父に斬られ、亡くなる。
 義朝は、朝長の部屋に向かい我子に刀を振り落とした。
平治元年(1160)12月29日(2月8日説あり)朝長15年の生涯だった。

父 義朝は翌朝 妾の館を出発する。
 「朝長はしばらく休ませてやってくれ」と言い残して旅立った。
のちに延寿によって朝長は葬られ、墓は円興寺にある。
「青墓」の地名は 朝長の墓があった事から付いたものだと言われている。




posted by KANCHI at 12:52| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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