2013年05月10日

源頼朝の父「義朝」の運命 その3

源義朝の側近 鎌田正清は 逸早くその気配を感じ、義朝の脱いだ着物を纏うと、
敵の中に影武者となって 「 我こそは源義朝なり! 」 と出て行った。
義朝を助けたい一心での行動である。
正清の声に風呂に入っていた義朝も敵に気付くが 時既に遅し、あえなく襲われ斬られてしまった。
この時 義朝は 「 あの太刀があったならば・・・・ 」 と一言残して最期を遂げたと伝わる。
野間にある大御堂寺(野間大坊)の義朝の墓は、参拝者の奉納した木太刀に埋もれている。
「 あの太刀が 」 と思いを残した義朝の霊を慰めるために奉納された物だそうだ。
また、境内には義朝の首を洗ったと伝わる「首洗いの池」があり、今も義朝の無念を伝えている。
これが平清盛と対等に戦った源氏の武将 源義朝のあっけない最期である。

ドラマチックな展開にするために一旦「厚い信頼を寄せた長田忠致」という事で話しを進めたが
果たして事実はどうであったのか?
これがもしも「他に頼るあても無く、究極の選択で選んだ長田忠致」であったならば・・・

平治の乱で義朝が破れた事を長田忠致も既に知っていた。
僅かな側近と共に都を逃れ東に向かったという噂だ…
ならば私を頼ってここに現れるかもしれない。そう考えていた。
その時の身の振り方を考えておかねばならない。
いくら戦に敗れ落ちぶれていても刀を振らせたら敵う相手ではない。
ここは一旦、招き入れるフリをして風呂を勧め、太刀を奪わなければならない・・・。
と、ドラマは大きく変り、より現実味を帯びてくる。
どちらの長田忠致が真実であっただろうか?それは長田忠致の心に聞いてみるしかない。
posted by KANCHI at 12:03| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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