2013年11月01日

源頼朝の家来 1号2号

源頼朝が伊豆に流刑になった時、すでに仕えていた家来がいる。
どうやら2人いたらしいが その1人が安達藤九郎盛長である。
安達盛長に関しては頼朝の乳母 比企の尼の娘婿だという事は分っているが
もう1人の家来 野三郎成綱(やさぶろうしげつな)に関してはあまり資料がない。
後々まで頼朝に仕えるが、流刑の時 なぜ従う事になったのかは明らかになっていない。

とにかく13歳の頼朝はこの2人の家来に支えられて蛭ヶ小島で暮らしたらしい。
どうやら2人の他にも仕える者はいたらしいが どこの誰だか?何人いたのかすら明らかでない。
例えばその時代、私が伊豆の蛭ヶ小島の周辺に暮らしていたら
頼朝の流刑の噂は聞き及んだだろうし、いくら流刑人とは言っても
源氏の嫡流だし、13歳だし、興味も湧くし同情もするだろう。
畑でとれた野菜や芋を持ってマメに通ったかも知れない。
おそらく そんな族(やから)が頼朝の周辺には沢山居て、
頼朝は そんな有難た迷惑な人達に支えられながら、お利口に暮らしたのであろう。
頼朝を経済的に支えた比企の尼や頼朝の母の実家 藤原季範よりも
周囲に住む おじちゃんおばちゃんの方が頼朝との関わりは強かったのではないだろうか?
posted by KANCHI at 20:49| Comment(0) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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