2014年04月25日

源頼朝の初恋 その10 源頼朝の初恋 その10

源氏の3男でありながら嫡子の運命を背負って生まれ、
初陣で破れながらも逃げ延びた。
平清盛に捕らえられながら命を救われ、
更に流刑人となってからも頼朝を助ける人々が
なぜか頼朝の周りに集まってくる。

言葉は悪いが・・・伊東祐親の娘に手を出し、腹ませ、逃げても
それを助けてくれる人物が現れる。
どう考えても北条時政に頼朝を助ける義理はない。
しかし頼朝は現実に北条時政に助けを求め、屋敷に逃げ込み
北条時政は頼朝を助けたのである。
そこには人間の微妙な心理が働いているのではないか?

伊豆の豪族として共に権力を揮い 同じ立場であるはずの2人
伊東祐親と北条時政・・・。
しかし そこには元姑と元婿の微妙な上下関係があった。
もう「元(もと)」であるのに何時までも祐親に頭の上がらない時政がいた。
頼朝を匿う事が北条時政にとって、その関係からの脱却
だった様な気がしてならない。
先の先の事まで北条時政が読んでいたとは思えないが
結局 頼朝を助けた事が北条時政の運命を大きく変える。
頼朝は自分の危機を救ってくれた者への恩を忘れないからだ・・・。

勿論、頼朝がそんな男である事を真面目息子の宗時が
父 時政に延々と説いた事は最も大きな影響を与えに違いない。
posted by KANCHI at 18:49| Comment(2) | 頼朝ブログまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ハンドルの由来は言うまでもなく、歴史を明らかにすることにあります。どうぞよろしく。
私も貴女と同じ頼朝ファンです。
森村誠一の平家物語や山岡荘八の源頼朝は読みました。現在これらの二度目と分不相応ながらも吾妻鏡に挑戦中です。管理人さんも当然これらはもうお読みになられたと思います。
またちょくちょくお邪魔すると思いますがどうぞよろしく。
今回はご挨拶代わりにちょっと質問があります。
それは、頼朝が清盛に捕えられた後、例の清盛の義母の池の禅尼に命を救われる場面です。
この場面、一説によれば全くの創作という説もあり(私の歴史の師などはその派です。元々この話は吾妻鏡がその出典でしょうか?私の師などは頼朝と池の禅尼は会ってもいないという説です)その真偽は定かではないのですが、私は多くの話がこの話を載せており、全くの偽りならそんなことはありえないと思うので、この話はあったと思います。管理人さんはどうお考えですか?ご意見をお聞かせ下さい。
また、この話が真実だとして、先の森村誠一の平家物語と山岡荘一の源頼朝とでも微妙に描写が異なっています。森村の本では、あくまで牢の中に捕えられた頼朝を池の禅尼が牢の外から見て話しかけるだけとなっていますが、山岡の本では頼朝を彼女が部屋の中で優しく抱きかかえ、頼朝は彼女に母の匂いを感じた、とまで書いてあります。どっちが本当なのでしょうか?
あるいはどちらも単なる創作なのでしょうか?
創作としたら、歴史小説というものは、ここまで勝手な創作が許されるのでしょうか?貴女のご意見をお聞かせ下さい。
では今後ともよろしくお願いします。
                 史明    
                 



Posted by 史明(ふみあき) at 2014年04月27日 04:49
史明さま
コメントありがとうございます。
ご質問の件、結論から申し上げますと
吾妻鏡からかどうかすら私には分かりません。
元々私は文字を読むのが苦手で頼朝関係の小説は殆んど目を通しましたが胸を張って「読んだ」とは言えません。
いつも書きたい事にために気になる所だけをアッチもコッチも読み比べて歴史の先生方の捉え方を参考にする「つまみ喰い」程度の読み方だからです。
小説を初めから終わりまで流れを楽しむ読み方をした事は殆んど無いに等しく、逆に捉え方の違いや表現の違いを楽しんでいます。
で、私の意見ですが・・・
@勝手な創作が許されるのか?について
確実な史料が存在し、心の中まで描かれているならばそれに従って小説も書かれるべきでしょう。しかし、その史料が存在しない限り、あとは想像で描くしかないのでは?そこには小説家それぞれの経験や性格が表現されていて、小説とは本来それを楽しむためにあるものだと思います。読む方にもそれを理解した上で楽しむ覚悟が必要で、自らも想像を膨らませ楽しめばいいのではないかと思います。
A池禅尼と頼朝の対面はあったのか?について
歴史の専門家や小説家の先生方が分からない事を私如きが分かるはずありません(笑)
ただ私のカンで言うなら実は「対面してない」と思います。そしてコレもあくまでも想像ですが亡くなった我子への想い(依存)を頼朝に向ける事で池禅尼は救われたのではないかと思います。実際には顔を見てすらいない頼朝を我子の代わりのように思いやる事で彼女は救われたのだと。
せめて小説の中で1度だけ会わせてあげても、いいではありませんか?会った事が良かったのか、会わなかった事が良かったのか、何が幸いしたかも分かりませんし。私にはどちらでもイイ事の様に思います。
史明さんと同じで私にも明らかにしたい事は沢山ありますが、それには頼朝本人に会って話しを聞くしか方法がありません。それは永遠に不可能なのですし、
実際の頼朝に もしも私があったなら、こんなには愛せていなかったかも知れません。
Posted by KANCHI at 2014年04月28日 10:20
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