2008年05月22日

源頼朝の戦「壇ノ浦」その4

源頼朝の敵「平氏」は壇ノ浦で海に沈み滅亡した。
その壇ノ浦で最後まで源氏の強敵だったのは清盛の甥 教経(のりつね)である。
清盛の3人目の弟 教盛の次男 教経は屋島の戦いでも 五人張りの弓で義経を狙い
義経の家来 佐藤嗣信(さとうつぐのぶ)を射抜いた事は前に書いたが、
壇ノ浦でも最後の最後まで義経を追い詰めた。
教経は義経の顔は知らないが、戦いの様子やその身のこなしから義経を探し出すと
その船に近付いた。そして義経の船に飛び移ったのである。
もしも取っ組合いになれば 小柄な義経が不利である事は誰が見ても明らかだった。
大男 教経が自分の船に飛び乗ったのを見た義経は急いで 味方の船に飛び移ったのである。
身軽な義経はポンポンと隣の船、更に隣の船と飛び移り、
その身軽さに教経は身の終わりを悟った。
鎧を脱ぎ捨て 両手を大きく広げた。そして敵の家来を両脇に抱え海に飛び込んだのである。
その壮絶な死に様に源氏の武将も唖然とした程である。
この時の義経の船から船へと飛び移った様子は 後に「義経の八艘(はっそう)飛び」として
知られる事と成った。

総大将の平宗盛 父子が捕虜となった事を知った弟 知盛は全てを見届けた。
そして 自らの責任を全て果たし終えたと悟ると死者の鎧を更に纏うと海に沈んで行ったのである。
夕暮れの壇ノ浦には平氏の赤旗と無数の死体が静に波間を漂っていた。

 「(おご)れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し
  (たけ)き人も遂には滅びぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ」である。

 『平家物語』より

栄華を極めた平氏は遂に滅亡したのである。
弟 義経の力を借り、源頼朝は敵を滅ぼした。
しかし それは鎌倉を中心にする武士の世の ほんの始まりでしか無かったのである。
posted by KANCHI at 00:31| Comment(0) | 頼朝の戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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