2011年02月14日

源頼朝の子と孫として

源頼朝よりも多くの官位を望む実朝の本心は誰にも理解されなかった。
執権 北条義時をはじめ 多くの家来が実朝のわがままだと捉えていた様である。
母 政子でさえも次期 将軍探しに没頭しわざわざ都に上ったほどである。
誰にも期待されず頼りにされていない事を実朝はどう感じていただろうか?
建保6年(1218)の暮れには実朝は乳母の阿波局からある噂を耳にしていた。
公暁が将軍の命を狙っているという噂である。
阿波局は実朝の母 政子の妹、つまり実朝の叔母でもある。
御所の内情に精通しているし 実朝の事を心から心配してくれる女性であった。
「公暁が私を・・・?」
実朝の脳裏にこれまでの公暁との事が思い出された。
公暁がまだ善哉の頃 着袴祝いの席で実朝に言った言葉を思い出した。
「私は何れ立派な将軍になります。」と・・・あの時 何も分らない子供の言葉と
その意味も思いも深く考える事もしなかったが
それは公暁の父 頼家への思いだったのではないだろうか?
父 頼家への思いは、頼家亡き後 将軍となった実朝への怨みや憎しみと同じだったと
実朝は公暁に怨まれていたこれまでの十数年を振り返った。
将軍にはなれない公暁を哀れに思い、母 政子に言われるままに
建永元年(1206)には養子に迎え、建保5年(1217)には鶴岡八幡宮の別当にさせた。
全て 良かれと思ってした事が公暁の怨みを増幅させていただけだったと
実朝は思い知らされたのである。
「私を殺しても公暁は将軍にはなれない・・・」実朝は公暁を哀れに思い
その公暁に怨まれている自分を哀れに思ったのである。
posted by KANCHI at 09:28| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

源頼朝よりも上に

源頼朝の息子である事を実朝は喜んでいただろうか?
人は誰でも子供の頃は「〇〇さんのお子さん」と呼ばれ、
親は「〇〇ちゃんのママ・パパ」と呼ばれるが・・・
その呼ばれ方から解放された時、自分と言うものを自覚する様になる。
しかし実朝は父 頼朝の存在が大き過ぎて永遠に
「頼朝の息子さん」から逃れられない。
逃れられない限り、本物の自分を自覚する事はないだろう。
常に頼朝を意識し生きて行くしかない。
実朝が頼朝から逃れられるとしたら それは実朝が
頼朝を超えた時だろう・・・。

実朝は頼朝を越え様として・・・船を造り唐に渡ろうとした。
あの父も出来なかった事だ。しかし夢と共に船は沈んだ。
次に実朝が考えたのは官位である。
父よりも上の官位を手にし越えようとした。
官位を望む実朝の姿は周囲が見ても異常だったが
彼の苦しみを誰か、心底理解していた者はいたのだろうか?
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2011年02月07日

源頼朝の孫「公卿」の矛盾

源頼朝の孫であると言うだけで、
それは血筋で言えば確かに公卿は そうである。
だからお飾り将軍としては都合がいい。
しかし公卿の性格から言えば将軍には向いていないし
お飾りとしては 最も都合が悪い。
三浦義村はそれを強く感じていただろう。

何しろ彼はやる気満々である。
公卿を一旦将軍にしてしまっては周りが振り回される事になるだろう。
だから将軍にする前に何とかしなくてはならないが、
乳母父として権力を手にするには
公卿が将軍にならなくては意味がない。

かつて源頼家が将軍となり暴走した時には
乳母父の比企氏は同調していた。
なぜならそんな頼家を育てたのが比企だったからだ。
公卿は将軍に向いていない。
誰よりもそれを強く感じていたのは三浦氏だっただろう。
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2011年02月03日

源頼朝の子孫はお飾り

源頼朝の孫 公卿に伝わる三浦義村の思いは
公卿を愛する駒若の思い入れも加わって、
更に大げさになっていただろう。
しかし元々 武士になる事を望んでいた公卿には
大げさには聞こえていなかったに違いない。

自分は元々2代将軍 頼家の子供であるし、
武士になるのも将軍になるのも当然だ。
おまけに それを阻んでいたのは 実朝だ。
だから仕返しは当然だし、何よりも自分は望まれている。
公卿はそう思い込んでいた。
しかし・・・三浦にとって公卿はお飾りでしかない。
北条にとって実朝がお飾りである様に
三浦にとって公卿もお飾りである事に何ら変わりはない。

むしろ公卿の気質は三浦にとって邪魔でしかなかっただろう。
posted by KANCHI at 10:01| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

源頼朝の孫「公卿」の相手

源頼朝の孫として生まれて来た事に
必要以上に誇りを持つ公卿が望まない修行先から鎌倉に戻った時、
叔父の将軍 実朝は幕府の金を夢の唐船造りの為に使い果たし・・・
夢ごと海に沈めてしまった。
公卿にしてみれば実朝への恨みが募る一方である。
そして同時に、どうしてこのタイミングで自分が鎌倉に戻されたか?
都合のいい方に考えたに違いない。

大河ドラマ「草燃える」の中では
この公卿を溺愛する一人の人物が描かれている。
どうやら2人は相思相愛だった様で、人目を避けて夜毎
逢瀬を楽しんでいた・・・。
それは三浦義村の息子 駒若(こまわか)である。
念のために もう一度言っておくが・・・
駒若は娘ではなく「息子」である。
幕府の情勢はこの三浦義村の息子 駒若から
事細かく公卿に伝えられていたと想像できる。
駒若は三浦義村の息子であるのだからその言葉を
公卿は疑う事無くストレートに受け止めていただろう・・・
時には三浦一族の思いも、聞かされていたのではないだろうか?
posted by KANCHI at 13:18| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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