2011年01月27日

源頼朝という大きなお手本

源頼朝の嫡男にあたる頼家・・・その頼家の息子に生まれた公卿。
公卿は側室の子として生まれたため 父に抱かれる事も殆どなかっただろう。
だからこそ将軍 頼朝の孫である事、将軍 頼家の子である事に誇りを持つ様に
幼い頃から育てられたに違いない。
今風に言えば・・・「どうして僕にはパパが居ないの?」と聞かれたママは
「お前は愛人の子だよ」とは言い辛い・・・どうしたって
「パパは凄く偉い人でお仕事が忙しいのよ」と言うしかないだろう。
父親のいない子を育てる母親は決まって
「お前のパパは凄い人、だからお前も・・・」となりがちだ。
子供がいつか真実を知った時の事を思って傷付かないための保険をかける。
しかし公卿の場合・・・その保険が大き過ぎた。
近付く前に父を失い、近付けなかった兄を失い、自分は僧侶にさせられた。
そうさせたのは叔父の実朝だと聞かされていたからだ・・・
父を殺した実朝が今 鎌倉幕府の将軍に収まり、無能だと聞かされている。
・・・そう言い聞かせたのは誰なのだろう?
posted by KANCHI at 11:00| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

源頼朝の出来なかった事

源頼朝の孫 公暁は修行のため近江国 園城寺で6年間を過ごした。
北条政子により12歳で公暁と改名し鎌倉を出てから・・・
彼は18歳になっていた。
公暁がいない間に鎌倉では和田合戦が起こり、
征夷大将軍としての気力を失った実朝は由比ガ浜での唐船造りを行っていた。

その実朝の夢を乗せる唐船が建保5年(1217)4月 遂に完成し、
17日 由比ガ浜で進水式が行われる事となった。
造船の間に何度も足を運んだ実朝も 完成した巨大な唐船に胸躍らせた。
船は唐独特の立派な飾りに彩られ、巨大な2本の柱が印象的だった。
数百人の人夫によって転木に乗せられた唐船はゆっくり海へと入れられて行く
長い時間と多くの人夫を使って唐船は海の中へと運ばれたが遂に浮ぶ事は無かった。
波によって微かに左右に揺れるだけで それはまるで
豪華な唐の飾りが海の中に沈んで行く様に見えた。
執権 北条義時も その様子を見ていた。
造船の為に随分「財」を使った。船が完成すれば実朝を鎌倉から追い出せた。
義時の心には そんな思いもあったが「無駄な飾りが多過ぎたのだ・・・」と
低い声で呟いて由比ガ浜を後にした。
こうして実朝の夢も唐船と共に海に沈んだのである。
そんな頃・・・公卿は鎌倉に戻って来た。
posted by KANCHI at 12:56| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

源頼朝と比べられて

源頼朝の息子 実朝は自分の不甲斐なさに絶望していた。
しかし、相変わらず将軍である・・・
異様に父 頼朝を意識してか、必要以上に官位を欲しがり
周囲を困惑させた・・・
実朝なりに将軍として何ができるか考えた結果の行動である。
父よりも多くの官位を貰い、肩書きで勝とうと考えたのである。
更に実朝は周囲を驚かせた。
唐の国に渡る為の巨大な船の造営を命じた。
遣唐使ではなく・・・将軍自らが唐に渡るための船だ。
沈むかも知れない。死ぬかも知れない。
その事さえ恐れる様子も すでに実朝にはなかった。
自分が消えても誰も困る事もない。
幕府も何も変わりない・・・
実朝の異常な行動に、彼の絶望を感じずにはいられない。
posted by KANCHI at 11:49| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

源頼朝の課題

源頼朝の息子 実朝は和田一族を失い・・・
それは自分の無力が起こした結果である事を痛感していた。
今更どんなに詫びても許されない。
かと言って 何か手の施し様があっただろうか?
無かったからこそ こうなったのだ。
そして何も出来なかった自分の存在する意味さえ見失っていた。
それでも・・・頼朝の息子である。

一方 源頼朝の孫 公卿は僧侶として生きる事を強制され
そうさせたのは あの無能な叔父 実朝だと恨みの日々を送っていた。
無能のくせに将軍として居座る実朝を父 頼家の敵だと信じていた。
本来なら父 頼家亡き後は この有能な自分が将軍となるはずだった。
自分は武士であるべきだと信じて止まなかった。
公卿が武士として、ましてや将軍として有能かどうか誰にも分からない。
おそらく公卿本人にも分からないはずである。
しかし根拠が無くても・・・彼にそう思い込ませた人物がいた。
それは公卿の乳母父 三浦義村に他ならない。
乳母とは・・・野望を抱かせる最大のキーワードだったのかも知れない。
posted by KANCHI at 02:03| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

源頼朝の血筋

源頼朝の思いなどそっちのけで北条義時が和田一族を滅ぼした頃
お飾り将軍 実朝は和田の亡霊に悩まされていた。
眠れずに庭に出ると甲冑を付けた亡霊が列をなして実朝の前を歩く。
滅ぼされた稲村ケ崎の浜に向かっている。
実朝は手を合わせ唯々「許せよ」と祈る・・・そんな夜が続いていた。
和田の爺が自分を迎えに来たと言って亡霊の列を追い
気付けば一人 真夜中の浜に立っている事もあった。
その様子はまるで・・・魂を失ったかの様だった。
或は・・・実朝は死にたがっていたのかも知れない。

そんな様子の実朝を人々はどう思って居ただろう?
母 政子は? 叔父 義時は? そして三浦義村は・・・?
そしてもう一人、無力な将軍 実朝を見ていた者がいた。
それが・・・甥の公卿である。
posted by KANCHI at 09:48| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。