2010年12月20日

源頼朝を巡る乳母抗争

源頼朝の子孫は実朝だけでは無かった。
実は秘かに孫が育っていた・・・公暁である。
側室とは言え2代将軍 頼家の子として生まれ、
正室 比企氏との抗争を避けて秘かに育てられた。
父の顔も知らず育てられた孫をふびんに思い北条政子は
前々から秘かに眼をかけていたが・・・
頼家が伊豆 修善寺に幽閉され更に殺害されては、
それが北条の手によるものである訳だから
尚も眼を掛けずには居られなかった。
この孫から 完全に父を奪ってしまったからだ。

出来る限りの事はしてやりたい・・・
政子は公暁の乳母父を信頼厚い三浦義村として
その成長を見守って来た。

覚えているだろうか?
これまでに書いて来た この時代の乳母の存在の重要性を。
頼朝の乳母 比企一族にはじまり頼家の乳母、実朝の乳母と
乳母抗争の数々を書いて来た。
乳母と言っても乳を飲ませるだけでは無い。
むしろ乳を飲ませる事は二の次である。
乳母父とは実母父よりも本物の親になる事を意味していた。
公暁の乳母父は三浦義村なのである。
再び・・・乳母抗争のはじまりの再来か?
鎌倉幕府の運命を左右するのはいつでも「乳母」なのだ。
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2010年05月31日

源頼朝の子育て

源頼朝は生まれて間もなく実母 由良を亡くし、
その為もあって乳母に育てられた。
そうでなくても乳母に育てられるのが慣習だが
乳母しか知らずに育った事が頼朝にとっては極 常識的であったのだろう?
自分の嫡男の乳母を比企に選び極当たり前に任せきりにしたが
頼家の成長ぶりに頼朝は満足していたのだろうか?

私が現代に生きる人間だからなのか?
ドラマの中の表現が極端なだけなのか?
「草燃える」を観ていてジレンマを感じた・・・・というもの
頼家(鶴見辰吾)が10歳程に成長した頃、
お腹に実朝を身籠っていた政子のもとに頼家が乳母(比企重子)に連れられ
お祝を兼ねて会いに来る。
久しぶりに会いに来たと言うのに頼家はすぐに帰りたがる様子で
政子への愛情を一切示さない。
その上 庭に迷い込み飼っていた狸を欲しがり 矢で撃つ練習をすると言う。
更に繋いでいた綱が切れ狸が逃げてしまうと腹いせに
切れる様な弱い綱を持って来た使用人を責め、
狸を探せなかった家来 安達景盛を何度も殴った。
様子を見ていた政子が頼家を叱ると乳母の重子は
久しぶりに会いに来たのに頼家が可哀想だと怒って帰ってしまう。

頼家は子供の頃から 本当にこんな乱暴者だったのか?
ドラマの中では もう既に手の付けられない状態に思えた。
ジレンマと疑問・・・
頼家について頼朝と政子が話し合う事は無かったのだろうか?
「こんな場合にはこうして欲しい」など嫡子の教育について
乳母への要請は出来なかったのだろうか?
頼朝が一言「悪い事をした時は叱って下さい」と比企に言えば
何とかなっていたのではないかと気になって仕方ない。
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2010年05月27日

源頼朝の思い裏目に

源頼朝が余りに立派に育ったからか?
そんな頼朝を育てた比企尼を政子も信頼し我子を任せた。
それは又 比企尼への敬意を示したと言う事でもある。
しかし頼家を育てたのは比企尼では無く
比企尼の養子となった甥の能員の妻 重子(渋河兼忠の娘)である。
※ちなみに「重子」とは大河ドラマ「草燃える」での役名。
乳母は他に比企尼の次女 河越尼や梶原景時の妻がなっていたらしい。
言わば「豪族の妻たち」の子育てプロジェクトチームである。

大河ドラマ「草燃える」の中では生まれたての頼家を乳母たちに奪われ
戸惑う政子の姿が描かれている。
東国の小豪族の娘として生まれ育った政子にしてみれば
自分の産んだ子を自由に抱く事すら許されず
男子を産んだ事にか 御所の御代になった事にか
戸惑いと少し後悔する様子が描かれている。
その後も政子は何度も頼家の事で後悔を繰り返す。

ドラマは永井路子さんの小説をもとに描かれているが
その永井路子さんは「吾妻鏡」をもとに小説を描いている。
吾妻鏡は後の北条氏によって書かれた物なので
北条の都合の良い様に描かれているとは思うが
比企氏に育てられた頼家が 手の付けられない問題児に描かれ
ドラマでは そこまで酷いの?と聞きたくなる程 極端に頼家を
「悪」として描いている。
源頼朝が「吾妻鏡」の全巻を読んだら比企氏の面目の為に
出版 差し止めを命じたかも知れない。
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2010年02月15日

源頼朝の悲しみ

源頼朝にとっての初めての恋は頼朝にとって初めての息子 千鶴丸の誕生に至った。
しかし頼朝はその息子を僅か3歳で失う経験もする。
例え頼朝が北条時政の屋敷に逃げ込む事無く
伊東祐親の差し向けた追手に討たれていても
息子 千鶴丸の死は回避出来なかっただろう・・・
頼朝も千鶴丸も殺されていたに違いない。
しかし頼朝は生き残った。北条時政の屋敷で守られながら
息子の死を知らされた。
悲しみながら頼朝は思っていただろう。
父親でありながら自分は息子を救う事が出来なかった。
千鶴丸の命と引き換えに自分は生き残った様なものだと・・・
千鶴丸を死に追いやったのは「自分」であると。

伊東を流れる松川の上流 轟淵の滝壺に千鶴丸は沈められた。
命じたのは伊東祐親である。
祐親にとっても可愛い盛りの3歳の孫の殺害を命じながら
祐親は自分に言い聞かせていただろう。
こうするしか他に一族を守る方法はない・・・
浅はかな自分の娘のした事の尻拭いをしただけだ。と。
そして八重姫も祐親の命令を受けて他の男の元に輿入れさせられた。
頼朝の初恋は悲しく辛い結果に終った。
posted by KANCHI at 09:14| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

源頼朝の血筋絶える

源頼朝の孫 公暁を討ち取ったのは三浦義村(みうらよしむら)である。
そしてその命令を下したのは執権 北条義時だった。
無抵抗な公暁を捕らえる事も無く討つ事は暗黙の了解だった。
なぜなら公暁は実朝を討って直ぐに その首を持って三浦義村を訪ねたからである。
しかし義村は亜闍梨尊暁(あじゃり そんぎょう)の屋敷に身を寄せる様に公暁に伝え
自分はその足で北条義時のもとに向かったのである。
そして公暁を討つ命令は下された。
尊暁の屋敷から出て来た公暁は三浦義村に自分が討たれるとは思っても見なかった。
むしろ迎えが来たと思っていたのではないだろうか?
無抵抗の公暁は討たれ、死人に口なしである。
実朝暗殺事件の真相は闇の中に葬られた。
公暁亡き今、源氏の血筋は絶えた。源氏は源氏によって絶えたのである。
しかし そう仕向けた人物がいる。
そしてその犯人は実朝の死によって最も得をする人物である。
源氏の血筋が絶えた事により 止むを得ず次の将軍となる事が出来る。
或は 次の将軍を自由に決める事が出来る。そんな人物に違いない。
それが誰なのか?読者の皆様にも既に想像が付いているはずである。
posted by KANCHI at 09:11| Comment(0) | 頼朝の家系図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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