2009年12月21日

源頼朝の揺れる恋心

源頼朝のゆかりの地が最近 また群発地震で揺れている。
観光客のキャンセルが相次いでいるのが残念だが伊東はその昔
頼朝が恋心を大きく揺らした地である。
源頼朝の初恋の話しを書こうと思っていた矢先に地震のニュースを聞き
頼朝を愛する者としては いろんな意味で心が震えたり揺らいだりしている。

源頼朝の初恋の相手は おそらく伊東祐親の四女 八重姫だろう。
女性に関しては決して草食系では無かった事で知られる頼朝の
その女性遍歴は言わば この八重姫から始まったと言う事になる。
そして ふたりを引き合わせたのは 八重姫の兄であり
伊東祐親の次男である伊東祐清(すけきよ)である。
彼は父 祐親に忠実な長男 祐泰(すけやす)とは違い 自由奔放な性格だったのだろう。
自ら 流刑人 頼朝の住む中伊豆の蛭ヶ小島に足を運び頼朝に会った。
そして頼朝に新たな可能性を感じて心を通わせた。
修行僧の様に読経生活をしていた頼朝の生活に変化を起こそうと
時には「巻狩りの練習」と称しては狩りに誘い、そして女を紹介する。
女なら誰でも良いという訳では無い。
その証拠に彼は自分の妹 八重姫を頼朝と会わせた。
そして ふたりは恋に落ちたのである。
頼朝の恋心は揺れに揺れただろう・・・・。
posted by KANCHI at 11:19| Comment(0) | 頼朝ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

源頼朝の運試しの石

源頼朝が少年から青年に成長する7年程の年月で
世の中の情勢も少しずつ変化していた。
絶対的権力を持っていた平氏の政治に不満や疑問を抱く者が増え
新しい時代を模索し始めていた。
生きていようが死んでいようが 然程注目を浴びる事の無かった流刑人 頼朝に
多くの注目が集まる様になって行く。
頼朝の住む蛭ヶ小島には源氏再興を目論む多くの者が代わる代わる訪れ
頼朝の説得に当たる。
勿論 頼朝は直ぐには行動を起こす事は無かったが
その心の中では少しずつ変化が起こっていたに違いない。
30歳になって伊東祐親 主催の「巻狩り」にも呼ばれ、
武士として、源氏の嫡流として生まれた本来の自分を取り戻して行ったのではないだろうか?
読経生活から抜け出し伊豆の山中に家来を引き連れ狩りをする様になったのは
頼朝の心に大きな変化が起こった証である。
伊豆の船原峠に「運試しの石」と呼ばれる不自然に切られた石がある。
石には頼朝の伝説が伝えられている。
<関連サイト>
http://www.toispa.com/blog/diary.cgi?no=139
狩りの練習にここを訪れた頼朝が
「もしも源氏の再興が叶うなら石よ切れよ」と念じて刀を振り落としたところ
石は見事に真っ二つに切れ 頼朝はこの石をきっかけに源氏の再興を確信したと伝えられている。
現実に刀で切れたとは とても思えないが・・・
狩りの練習と称して山に出掛け、源氏の再興に打って出るか?
自分にそれが出来るのか?迷いながら過ごした頼朝の心が感じられる。
posted by KANCHI at 09:30| Comment(0) | 頼朝ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

源頼朝と近所のお婆ちゃん

源頼朝の流刑生活には蛭ヶ小島の周辺に住む
多くのお節介焼きな人々の存在が欠かせなかっただろう。
流刑人ではあっても 近所の人達にとっては13歳の子供であり
源氏の嫡流であり、読経に明け暮れる真面目な少年で 好感が持てる。
そんな頼朝の生活を想像させる話しの一つが
伊豆の国市いずのくにし)」旧 韮山町の原木にある成願寺に伝わっている。
< 関連サイト >
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-58.html
いつの頃からか頼朝は三島大社に通う様になる。
源氏の再興を願うためだったと伝わっているので既に少年ではなかったかも知れないが
神信心は「源氏再興」を願う前から行っていたとも思われる。
三島大社に通う途中 1人のお婆さんが餅を売っていた。
頼朝はお婆さんと親しくなり 餅を貰ったり
時にはお婆さんが餅を持って蛭ヶ小島を訪ねる事もあったらしい。
少年 頼朝はこの餅にどれだけ励まされた事だろうか?
餅を頬ばりながら頼朝は「いつか必ずお礼をする」と心に誓っただろう。
成願寺は後に頼朝がお婆さんの為に建てたお寺である。
posted by KANCHI at 09:15| Comment(0) | 頼朝ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

源頼朝「巻狩り」見学

源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流刑となった13歳から
伊東氏の主催する「巻狩り」に参加した30歳までの17年間の事は
正直に言うとはっきりとした記録がない。謎の17年間である。
どうやら20〜27歳の間に伊東祐親の娘 八重姫と出会い恋もしているらしいので
特に20歳までの頼朝がどんな暮らしぶりだったのかは 全くの空白である。
しかし伊豆の人々に助けられながら頼朝は成長し生き延びた。
そして成長した頼朝は徐々に注目を浴び始める。
平氏の政治に不満や疑問を抱き始めた人々が頼朝に近付き
源氏の再起を促し始めた。
慎重な頼朝が直ぐに行動を起こす事は無かったが
「巻狩り」に参加した事は大きな変化と言って良い。
それまでの頼朝は父や兄の冥福を祈りお経を読む毎日を過ごしていた。
しかし巻狩りは殺生である。読経とは正反対の行為なのだ。
参加とは言っても頼朝がいきなり狩りをした訳ではないだろう。
伊豆の伊東氏が権力の象徴として主催した「巻狩り」に呼ばれ
始めは見学していたのではないだろうか?
しかし頼朝は確実に「巻狩り」に感化され伊豆の各地で狩りの練習を始めるのである。
頼朝は読経漬けの生活から自分を開放して行ったのではないだろうか?
posted by KANCHI at 10:58| Comment(0) | 頼朝ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

源頼朝の家来 1号2号

源頼朝が伊豆に流刑になった時、すでに仕えていた家来がいる。
どうやら2人いたらしいが その1人が安達藤九郎盛長である。
安達盛長に関しては頼朝の乳母 比企の尼の娘婿だという事は分っているが
もう1人の家来 野三郎成綱(やさぶろうしげつな)に関してはあまり資料がない。
<関連サイト>
http://www.ksky.ne.jp/~imatakao/7ono.html
後々まで頼朝に仕えるが、流刑の時 なぜ従う事になったのかは明らかになっていない。

とにかく13歳の頼朝はこの2人の家来に支えられて蛭ヶ小島で暮らしたらしい。
どうやら2人の他にも仕える者はいたらしいが どこの誰だか?何人いたのかすら明らかでない。
例えばその時代、私が伊豆の蛭ヶ小島の周辺に暮らしていたら
頼朝の流刑の噂は聞き及んだだろうし、いくら流刑人とは言っても
源氏の嫡流だし、13歳だし、興味も湧くし同情もするだろう。
畑でとれた野菜や芋を持ってマメに通ったかも知れない。
おそらく そんな族(やから)が頼朝の周辺には沢山居て、
頼朝は そんな有難た迷惑な人達に支えられながら、お利口に暮らしたのであろう。
頼朝を経済的に支えた比企の尼や頼朝の母の実家 藤原季範よりも
周囲に住む おじちゃんおばちゃんの方が頼朝との関わりは強かったのではないだろうか?
posted by KANCHI at 10:15| Comment(0) | 頼朝ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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