2011年10月31日

源頼朝に会う前の文覚

源頼朝に出会う前、若き日の文覚は武士 遠藤盛遠(えんどうもりとお) だった。
武士だった彼が出家し僧侶となったのは19歳の時である。
その原因は有名な「袈裟御前の秘話」である。

文覚は若き日に従兄弟 渡辺渡(わたなべわたる)の妻 袈裟御前に恋をし
自分のものにしようと必要に迫った。
ある時、そんな盛遠に袈裟は「私には夫がおりますのでその夫を亡きモノしてください」と伝えた。
文覚は袈裟に言われた通りに夜 屋敷に忍び込み寝ている渡を斬る。
しかし渡だと思って斬ったのは、夫の身代わりとなって寝ていた袈裟だった。
盛遠は自分の欲望のために愛する者を苦しめ、
自らの手で全てを失ってしまった。と言う話しである。

この話しには男と女の話しだけではない時代背景があるらしい。
なぜ文覚は頼朝に会いに行ったのだろうか?
posted by KANCHI at 13:15| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

源頼朝と文覚

源頼朝の流刑生活には様々な人々が関わり、
多くの者が頼朝のもとを訪れたが、その代表とも言えるのが文覚だろう。
しかし、この文覚については諸説あり過ぎて真実が見え難い。
私の様に頼朝が好きで、頼朝の本を読んだりした事のある人なら
文覚の名はご存じだろうし、文覚はこんな人というある程度のイメージがあるはずだが
読んだ本によって、これ程印象が変わるのも文覚だろう。
と言うのも、文覚が登場する書物は多く、モノによっては
伊豆に流刑となった頼朝と4年間一緒に暮らしたと描かれていたり
読経生活を頑なに続ける頼朝を説得し源氏再興を促したのも文覚だと描かれている。
文覚有能説だ・・・。
そも一方では乱暴者で行動力はあるが学識がなく人の悪口を言うのが得意で
天狗を祭る変わり者と描かれていて、いわゆる文覚ダメダメ説もある。
頼朝が4年間もその乱暴者と暮らしたかと思うと、やや無理がある様に感じる。
後に伝わる伝承の中で文覚はかなり脚色されて描かれてきたために真実が見え難い。
ただ一つ真実だと思える事は文覚もまた、
頼朝の魅力に惹かれ、頼朝と関わり生きた、とうい事だけだろう。
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2011年10月10日

源頼朝の最大の魅力

源頼朝を捕えた弥平兵衛 宗清も、宗清に勧められ対面した池の禅尼も、
そして頼朝を殺すつもりでいた平清盛さえも
頼朝の魅力に惹かれ当初の予定を大きく変更してしまった。
そして頼朝は命を存え日本の歴史を変えて行く。
都からは遠く離れた伊豆の地でも多くの人々と出会い
またその強運と魅力で当初の予定を全て変えて行った。

確かに流刑人とは言っても頼朝には「源氏の御曹司」という肩書きがある。
武士の間では一流ブランドである。
源氏の御曹司に興味を持っても、流刑人であるという色眼鏡で
多くの者は頼朝を見たであろう。
しかし頼朝に出会った者は皆、すぐに色眼鏡を外し本物の御曹司である事を確信してしまう。
自分は頼朝とどう係わるべきか?どう近付くべきか?を模索し始める。
敵さえも味方に変えてしまう。それが頼朝の最大の魅力だ。
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2011年10月06日

源頼朝には最良のタイミング

源頼朝が強運の持ち主である事は今更説明する必要もないが
頼朝が捕えられ 弥平兵衛 宗清によって平清盛の前に曳き出されたのは、
頼朝の兄 義平が逢坂の関で捕えられて、六条川原で処刑されて間もなくの事であった。
確かに源氏の御曹司でありながら平清盛の館に入り込み自ら入り込む何て事は
如何にも義平らしい無謀なやり方ではあるが、
一方で たった一人で清盛を討とうとした勇気は人々を感心させた。
そして義平は六条川原で打首となり、父 義朝や青墓から掘り出された朝長の首と共に
晒しものにされたのである。
カラスに啄ばまれ、腐って悪臭漂う様子を想像してみて欲しい…。
都の人々は清盛の、その残虐なやり方に反感を抱く者も多かった。
「そこまでやらなくても…」という思いだ。
そんな時、まさに頼朝が捕まったという噂を人々は耳にする。
「また さらし首を増やす気か?」「今度は13歳の子供だとか…」
人々の間に、新たなリーダー清盛離れの風潮が生まれていた。

正にそのタイミングで頼朝は清盛の前に曳き出された。
清盛にとっては最悪、頼朝にとっては最良のタイミングである。
清盛は追い詰められていた・・・義理の母 池の禅尼が、そして世間が、
「13歳の頼朝まで、まさか殺したりしないよねぇ〜。」という
微妙な空気を感じずには居られなかったのだろう。
posted by KANCHI at 13:27| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月03日

源頼朝の魅力に消えた「欲」

源頼朝を自分の出世のために捕え、
平清盛に差し出した 弥平兵衛 宗清(やへいびょうえ むねきよ)だが
彼もまた、しばらく頼朝と過ごしただけで気持ちの中に大きな変化が表れた。
頼朝の命を救いたいと思ったのである。
でなければ 清盛に会う前にわざわざ池の禅尼に会う必要はないだろう。
つまり宗清も頼朝の魅力にやられたのである。
頼朝を愛する者としては「だったら逃がしてやれよ!」と思ったりもしたが
考え方によっては これで良かったのだ。
平頼盛の家来である宗清だからこそ、池の禅尼に事前の手回しが出来
頼朝の命を救えたのかも知れない。
宗清自身も「自分になら、自分にしか救えない」と言う思いが芽生えていたのだろう。

それも、はじめに頼まれた頼朝との面会を池の禅尼は断っている。
どうしても会わせたいと思った宗清は 半ば強引に頼朝を池の禅尼に会わせたと
幾つかの小説には描いてあって、真実性の程は分からないが、
宗清の 頼朝の命を救いたいと言う強い思いが感じられる。

ほんの僅かな期間に宗清と頼朝の間にどれ程の事が起きたのだろう?
間違いなく捕えた時には、宗清には自分の出世しか無かったはずなのに。
一説には…はじめ可愛げもなく子供のくせに冷静沈着だった13歳の頼朝が
都に向かう旅の途中に父や兄の死を知り、震えて泣いたと言う。
その姿を見た宗清の心が動いたと…
とにかく頼朝の魅力が宗清の欲すら消してしまったという事である。
posted by KANCHI at 14:14| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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