2011年09月29日

源頼朝の清盛との対面

源頼朝が平清盛と対面した場面は作者によって異なる。
人知れずこっそりと対面したのか、盛大なお披露目会だったか、
その場に誰が立ち会ったかなど…殆ど想像し放題の状態だ。
私がこれまでに見た沢山の映画やドラマ、小説や資料を比較してみると
共通しているのは平頼盛の家来 弥平兵衛 宗清(やへいびょうえ むねきよ)
清盛のもとに頼朝を連れて行ったと言う事と、
その宗清が事前に池の禅尼のもとを訪れ、
池の禅尼の今は亡き息子 家盛と頼朝が瓜二つである事と頼朝の命乞いを頼んだ事である。
あとは清盛の息子 重盛も頼朝の命乞いに関わっている事のみで
想像を膨らませないと逆に場面展開し辛い。
また、対面のタイミングも重要なポイントである。
3人の幼子を連れ都から逃亡した義朝の側室 常盤が捕まる前だったか?後だったか?
頼朝の流刑と義経3兄弟の処分はどちらが先に決まったか?などタイミングの違いで
頼朝の運命も変わっただろう。
来年の大河ドラマでは、またどんな風に描かれるのかも楽しみの一つである。
posted by KANCHI at 17:13| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

源頼朝のオーラ

源頼朝だけは許さないと言い遺して逝ったあの平清盛でさえ、
頼朝の魅力に何処かとらわれ、惹かれていたに違いない。
でなければ、その命を助けたりはしなかっただろう。
いくら惚れた女に頼まれたとしても、恩のある義理の母に泣き憑かれたとしても
清盛本人にその気がなければ殺していたに違いない。
殺すには惜しく、恩を売っておけば…
清盛の中にそんな思いがあったのだと思う。
一般的には平家物語で伝わる様に隆盛を極めた清盛のおごりが
その理由だと思われているが、それは違う。
幼い頃から頼朝にはすでに人を酔わせるオーラがあったのだろう。

頼朝の父 義朝が3男 頼朝を嫡男としたのも血筋だけが理由ではない。
また、頼朝を捕え清盛に差し出した男も一目で頼朝の魅力を感じ、
命を救いたいと言う思いを抱き事前に池の禅尼に手を回した。
頼朝の運命を辿って行けば、いかに頼朝には不思議な、
人に惹かれるオーラがあったのかを知る事ができる。
posted by KANCHI at 17:44| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

源頼朝が総理大臣?

源頼朝の暗殺に関しても前々からいろいろ書いているが
頼朝に興味のある人なら当然「曽我兄弟の仇討」には心惹かれるだろう。
基本的に日本人は仇討話しが好きだ。と言う傾向にある。
赤穂浪士の討ち入りに曽我兄弟の仇討・・・と涙涙の仇討事件を
もう何百年も語り継いできた国民だ。
しかしその仇討事件の裏に もう一つの大きな事件が隠れていた。
「隠れていた」と言うよりは「隠した」の方が正しい。
源頼朝を暗殺するために、曽我兄弟はダシに使われただけだからだ。
暗殺は失敗に終わる・・・もし成功していたら
この事件は「曽我兄弟の仇討」ではなく「源頼朝の暗殺事件」として
私たちも日本史の教科書で教わる事になっただろう。
源頼朝は今でいえば総理大臣の様なものだ・・・
最近は総理大臣がコロコロ変わり、あまり重みがないので
例えに使っても伝わり辛いが・・・・
それでも、その総理大臣を一般人の・・・それも未成年の兄弟が
暗殺するのは難しいだろう?・・・かな?(苦笑)
貴方は今、総理大臣がどこで何をしていて、明日どこに行くかを
ご存じだろうか?えっ?テレビを見ればわかる?

つまり、テレビもインターネットも無い時代に
一般人である曽我兄弟が頼朝や頼朝の側近に近付き暗殺するには
彼らの力だけでは不可能だと言う事だ。
誰かが情報提供などを含めて協力しなければ、と言う事だ。

実朝を暗殺従っている公卿に情報提供し、その気にさせたのは
勿論、乳母父 三浦義村であっただろうが・・・
本当の目的に失敗したら、その事件は表向きには
「実朝の暗殺」事件としてしか後の世には伝えられない。
posted by KANCHI at 17:27| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

源頼朝の命を縮めた理由

源頼朝は12歳の時 皇后宮権少進(こうごうぐうごんのしょうしん)という官職に就き
朝廷とは近い環境にいた。
つまり都の事も朝廷の事も良く知っていたのである。
月日は流れて頼朝の知っている朝廷にも多少の変化はあっただろうが
朝廷の根本は変っていない。
自分たちの都合に合わせて武士を動かし利用はするが
武士との深い関わりを避け、都合が悪くなると突き放す。
頼朝は他の誰よりもそれを知っていたはずである。
朝廷が心底 武士を受け入れる事など無いと言う事を・・・
亡くなる間際の頼朝に焦りが見える。
征夷大将軍になった事でうぬぼれてしまったのか?
その地位を守る為に必死だったからか?
嫌がる娘 大姫を嫁がせるために莫大な付け届けをし結果 大姫を病で失った。
その後も次女 乙姫を嫁がせようと強行手段に出るが
結局 自分自身が逝き願いは叶わなかった。
それだけでは無い・・・頼朝の後を追う様に乙姫が病で亡くなり
頼朝が最期に残したものは莫大な付け届けのための
莫大な支出だったのではないだろうか?
頼朝の強硬な手段に朝廷は鎌倉への警戒心を強めただろうし・・・
同時に「所詮は武士は武士」という悪い印象を残したのではないか?
実際に頼朝亡き後、朝廷と幕府の関係は冷え切って行く。

一説には頼朝の強硬な「娘 嫁入り作戦」が原因で朝廷内に
頼朝暗殺計画が持ち上がったと言う説もある・・・
娘 乙姫も朝廷から来た医師により毒殺されたとも言われているのである。
もしも頼朝が娘を嫁がせる事など考えなければ
頼朝も乙姫も もっと長く生きていたかも知れない。
posted by KANCHI at 09:33| Comment(2) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

源頼朝という旗

源頼朝の流刑生活が終りを迎えたのは
頼朝が北条政子と結ばれ その事実を政子の父 時政が認めた瞬間である。
北条時政は 未来に不安を抱きながらも頼朝を政子の婿として迎え
頼朝を「旗」として平氏と戦う覚悟を決める。
時政にどれだけの覚悟があったのだろうか?
成り行き上 結果としてそうなっただけで
やる気満々だったとは とても思えないが・・・
かと言って そんな気持ちで平氏と戦えるだろうか?

前にも述べた様に 最初の敵を山木兼隆と決めたのが頼朝では無く北条だとしたら
その理由が「恋仇」では無かったとしたら
どれだけの覚悟をして北条は山木邸を襲撃したのだろう?
大河ドラマ「草燃える」の中でも さりげなくその理由を「恋仇」としている。
しかしドラマの原作者である永井路子さん本人が「源頼朝の世界」の中で
北条政子と山木兼隆の婚儀の話しは無かったと書いているし
ドラマチックだから小説には描いているが・・・と説明している。

もう1つ戦いの理由がドラマには描かれている。
それは伊豆を中心とする平氏側の豪族たちが
流刑人 頼朝に群がる豪族たちの動きを察知し
事前に北条一族を討つ計画をしていたと言うもの。
それが大庭景親の娘「あかね」の口から恋仲だった北条義時の耳に入り
討たれる前に討とう!という事になったのである。
しかし残念ながら大庭景親の娘「あかね」は実在しない。
どこか他から情報が漏れた可能性はあるが・・・
どちらの理由も北条氏を正当化するために描かれた様に思えてならない。
posted by KANCHI at 09:30| Comment(0) | 頼朝の裏ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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