2012年01月02日

源頼朝を今年も愛して

源頼朝をこよなく愛して…
今年も初春のご挨拶を申し上げます。
いよいよ今年、NHK大河ドラマは頼朝の敵「平清盛」でございます。
頼朝がどんな風に描かれるのか…気になる今日この頃です。
今年も宜しくぅ。
posted by KANCHI at 22:06| Comment(0) | 頼朝大好き! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月26日

源頼朝の時代背景「保元の乱」その1

源頼朝の人生を大きく左右する天皇家同士の戦い「保元の乱」は
不仲な親子、鳥羽院と崇徳院の間で起きた。
何度 説明しても関係が複雑過ぎて、読者に上手く伝えられていない気がしてならない。
念を押しておこう・・・・
鳥羽院の妻A「璋子」は鳥羽院の祖父 白河院の「お古」である。
そのAが産んだ第1皇子が崇徳だ。
つまり鳥羽院と崇徳院は表向きには親子だが実際には甥、叔父の関係である。
白河院の命令で鳥羽院は退位させられ、その後を崇徳が即位したが、
白河院が亡くなると鳥羽院は妻C「得子」が産んだ第2皇子 近衛を即位させた。
崇徳は退位させられた。
ところが近衛は17歳の若さで亡くなった。
崇徳は我子 重仁を即位させたいと望んだが、これを阻止するかの様に
鳥羽院は妻Aの産んだ後白河を即位させた。
後白河の母は崇徳と同じだが、父親が違う。
我子を即位させたい崇徳が藤原頼長と手を組んだ。
また後白河は頼朝の父 源義朝を味方に付けた。
そうして起きたのが「保元の乱」である。

posted by KANCHI at 23:03| Comment(0) | 頼朝大好き! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

源頼朝の時代背景 その1

源頼朝について知るためには頼朝の生まれた時代や
生きた時代背景を知る必要がある。
現実に頼朝を描いている小説には、頼朝が生まれる前からを
書き出しにしているモノも多い。
私の描いたブログやホームページでも天皇と武士の持つ
権威と権力について少し触れているが、
本来は武士を動かす天皇のもっとドロドロとした時代背景を
描くべきだったかも知れない。
源氏と平氏がそもそも戦う事になったのも、
同じ一族でありながら源氏同士が戦う事になったのも
そもそもはこの時代の天皇の血筋問題が元であり、
武士がその天皇の持つ権威に振り回されて起こった事だ。

薄々は天皇の手のひらで転がされながら、戦わされていると気付きながら
その権威から逃れる事は出来なかった。
権力によって何度も覆そうとやっては見たが結局
武士がしている事はいつも変わり映えしない。
しかし転がされた多くの武士の中で唯一、
武士の意識を少しだけ変えたと言えるのが
愛して止まない源頼朝だと思う。
posted by KANCHI at 21:24| Comment(2) | 頼朝大好き! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

源頼朝に負けた者たち

源頼朝を冷酷非道だといくら言われても、私には頼朝の最も好きなところがある。
それは「弱い犬ほどよく吠える」と言うが、
頼朝はいくら負けても決して吠えなかったという事だ。
兄や父が殺されと知らされた時も、捕えられた時も、
流刑生活でも頼朝は負けを認め、良い訳はしていない。
13歳で死を覚悟し、泣き言ひとつ言ってない。
弟 義経を追い詰め殺した時も…彼は自分を正当化する様な良い訳を一度もしていない。
そんな頼朝の心の強さを私は最も愛している。

それは頼朝が心底から復活を志したからだと思っている。
「勝ってやる」とは言わず、結果を残し、そして勝ってからも何も言わない。
さもそれが当然であるかの様に振舞う。それが頼朝だ。
イチイチ戦に勝つ度に、大騒ぎして手柄を見せびらかした義経とは違う。
それを人は人間臭くて好きだと言うのかも知れない。
もしもどんな時も冷静沈着な頼朝の様子をみて、
それを冷酷非道というなら「冷酷非道」大いに結構だ。

なぜ?誰に?頼朝は「冷酷非道」だと言われ、それが定着したのか?
その1番の理由に私は薄々気付いている…。
それは頼朝に負けた弱虫達の遠吠えだったに違いない。
posted by KANCHI at 10:37| Comment(0) | 頼朝大好き! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月11日

源頼朝のゴシップ記事?

源頼朝を冷酷なイメージに変えたのはいったい何時代の何が原因だろう?
平氏とは対照的に源氏は身内同士でも殺し合いをして来たからだろうか?
そして命の恩人 平清盛を裏切ったからだろうか?
だとしたら頼朝が生まれる前から ただ源氏であると言うだけで
冷酷のレッテルを貼られた事になる。
それに頼朝は清盛を殺していない。清盛は病で亡くなったのだ。

それに同じ源氏でも弟の義経は頼朝よりも遥かに卑怯なやり方で
多くの人間を殺して来ているのに冷酷のレッテルは貼られてない。
ならば義経を追い詰め殺したからだろうか?
それとも義経を討つ為に利用した奥州平泉の藤原氏を滅ぼしたからだろうか?
しかし、そうして征夷大将軍となった後も頼朝を中心とする武家政権は続いているのだから
人々はそのやり方を認めたと言う事だろう?

ずっと後の戦国時代にはあの徳川家康も源頼朝をこよなく愛し、慕い、
自分の履歴書を源氏の末裔だと書き換えた程だ。
家系図を偽装するほど源頼朝は武士達に慕われていたのに、
いったい誰が頼朝を悪い奴だと言い始めたのだろうか?
もしもこの時代に頼朝を悪いヤツだと書いた週刊誌が大流行りしたなら
私は反論記事を直ぐに新聞に投稿したかった。
ゴシップ記事には素早い対応が必要だが今からでも遅くないだろうか?
およそ800〜300年ほどは経ってしまった様だが。
posted by KANCHI at 18:08| Comment(0) | 頼朝大好き! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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