2009年08月17日

源頼朝 大好き!

源頼朝を愛したのは政子だけでは無い。多くの武士が頼朝を愛し続けた。
頼朝と共に、或は頼朝の為に戦った多くの武士は勿論だが
頼朝の開いた幕府を愛し続けた多くの武士も、頼朝を知らない後々の武士も
源頼朝をとても愛している。
鎌倉幕府は執権政治となり、決して頼朝の望む幕府の姿ではなかったが
100年も後に「源氏」を愛する多くの武士が再び大きく動き出す。
南北朝時代を戦い抜いた足利尊氏は「源頼朝」の開いた幕府をお手本に
自らが征夷大将軍となり室町幕府を開く。
また、戦国時代を戦い抜いた徳川家康も征夷大将軍になる事にこだわり
江戸幕府を開くのである。
全ての武士が「源頼朝」に憧れ「頼朝」を手本に理想の幕府を開いて来た。
頼朝は武士にとって「カリスマ」であり、「神」だった。

私は武士ではないし幕府を開きたいとも思わないが
もしも頼朝の時代に生まれていたら頼朝の為に命を懸けて戦いたい。
男に生まれても 女に生まれても、きっと頼朝の為に生涯を捧げていたと思う。
・・・・頼朝に出会えているかどうかは問題だが そう思う。
私がその時代にさかのぼり今から生まれる事は不可能なので
現在の世の中に頼朝が生れ変って来て私のもとに現れてはくれないだろうか?
頼朝に愛される事は決して望まないが 片思いで良いから私は頼朝を愛したい。
誰が何と言おうと私は源頼朝が大好きなのだ。
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2009年05月04日

源頼朝とは違う生き方

源頼朝に勝てる征夷大将軍はいない。
征夷大将軍と言えば鎌倉幕府を開いた源頼朝の他に
坂上田村麻呂や室町幕府の足利尊氏や江戸幕府の徳川家康など名立たる人物はいるが
彼らがどんなに名を残しても征夷大将軍と言えば源頼朝の存在は群を抜いている。
なぜなら足利尊氏も徳川家康も源頼朝に憧れ、それに倣って征夷大将軍になったからである。
それまでには無かった 武士が政を行う「幕府」を誰よりも初めに造り出したのが源頼朝である。
その源頼朝に征夷大将軍として誰も勝てるはずが無い。
それは 例え源頼朝の血を引く息子であっても同じである。
頼朝の2人の息子 頼家も実朝も そんな事は重々承知していただろう。
初めからそれを承知していながら それを背負わなければならなかった運命だった。
征夷大将軍を背負って生きた実朝は父 頼朝には勝てないと知りながら
しかし運命を受け止めて自分らしい将軍を務め様としたが
北条一族という運命も共に背負い、自分らしくは生きられなかった。
実朝の自分らしさは遠い海の向こうにあると・・・
そこに行けば父 頼朝とは違う生き方が見出せると思っていた。

陳和卿を御所に呼び出し「唐に渡る船を造って欲しい」と命令を下した。
仏師 陳和卿はたった 一月余りで大仏の首を仕上げた人物である。
実朝の話しに微笑みを浮かべ「三月もあれば叶えましょう。」と自信ありげに承知して見せた。
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2008年10月13日

源頼朝の強運

源頼朝は九条兼実の「何れその時が来たら・・・」の言葉に慰められて鎌倉に戻った。
鎌倉にはしなくては成らない事が山ほどある。
頼朝は日々の仕事に追われて毎日を忙しく過ごしていた。
建久2年(1191)には大火があり鶴岡八幡宮の社殿が焼失するなどして
新たに石清水の分霊を勧請し山上に社殿(上宮)を造営したり
元の社殿を再建して若宮(下宮)とした。
目まぐるしく日々を過ごしたお陰で頼朝は あの大天狗の事をあまり思い出さずに過ごせていた。
とは言っても思い出す事もある。
わざわざ上洛し長い時間を掛けて拝謁を行ったにも係わらず
今回もまんまと あの大天狗にしてやられた。
頼朝は後白河院を思い出す度に悔しさが込み上げた。
しかし そんな頼朝に天はまた味方した。

建久3年(1192)3月13日 後白河院が病に倒れ崩御したのである。66歳であった。
その年の7月12日、頼朝は遂に念願の征夷大将軍に任命されたのである。
事を進めたのは関白 九条兼実(くじょうかねざね)である。
九条兼実が言っていた「その時」とは後白河院の崩御だった。
そして言葉とおりの「その時」が、思っていたよりも早く訪れたのである。
それは源頼朝が歴史上の人物になった瞬間だった。
歴史の教科書では 鎌倉幕府が出来たとされる「イイ国造ろう(1192)鎌倉幕府」である。
鎌倉を中心とした都造りは随分前から行われているし、
勿論 頼朝によって幕府もすでに存在していた。
実際にはこの年(1192)は鎌倉幕府が出来た年では無く、頼朝が征夷大将軍になった年である。
最大の目標を果たした頼朝だが この先にも波乱の人生が待っていた。
それは人の上に立つ者の宿命なのかも知れない。
posted by KANCHI at 11:56| Comment(0) | 頼朝の基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

源頼朝を知ってる?

ところで読者の皆様は「源頼朝」をどの程度知っていますか?
勿論、人によって違いはあると思いますが・・・・
私がバスガイドをしていて感じた事は
「歴史」というと「戦国時代」を思う人が圧倒的に多いですね。
そして同時に、その時代なら話しも通じやすい。
それでも興味の無い人もいるので、その「興味のない人」が
楽しめる様に話すのが私のこだわりだったので・・・・
このサイトでも「全く知らない人」用に書いて行こうと思います。
結構知ってる人には少し物足りない部分もあるとは思いますが・・・お許しをexclamation

簡単に一言で「源頼朝」を説明するとなると・・・・
「鎌倉幕府」を創った人。です。

鎌倉幕府と言えば「いい国作ろう鎌倉幕府」というゴロ言葉を聴いた事はありますか?
この「いいくに」は「1192」の事。
歴史の年号を覚える為に、どなたかが考えた言葉です。有名exclamation×2
この「1192年に鎌倉幕府が出来た」との事。
でもね・・・・実際にはこの年は「源頼朝」が「征夷大将軍」に任ぜられた年です。
その前から「源頼朝」は鎌倉に幕府を置き ( 1183年 1185年 説あり )
武士の政治を行っていました。
その「」(功績) を認められて朝廷(天皇)から「征夷大将軍」(武士の中で一番強くて偉い人)に選ばれたのです。

じゃあ、なぜこの「源頼朝」がどうして 武士の中の一番強い人 になれたのか?知ってますか?
ココからの話しは 学校の授業では教わっていないのではないでしょうか?
だから・・・「歴史はつまらない」と思われるのです。
それを教えてくれていたら、私も もっと早くに歴史が好きになれたかも知れません。そう思いながら楽しい歴史の話しを書いて行きます。

ココまでの話しで、すでに質問などありましたら
お気軽にコメントに書いてね・・・・・手(パー)



posted by KANCHI at 09:12| Comment(9) | 頼朝の基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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