2011年10月13日

源頼朝に魅せられた家来 <その1>

源頼朝の流刑生活については前にも詳しく触れた。
安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)野三郎成綱(やさぶろうしげつな)の2人が頼朝を支えた。
命拾いをした頼朝は父や兄の冥福を祈り読教三昧の日々を送る…
やがて流刑人 頼朝の噂が豪族達の間で持ちきりとなり、
特に次の時代を担う若者達が頼朝に会うために蛭ヶ小島に足を運び
そして ココでも頼朝は多くの者を虜にした。
頼朝に会った事のない頭の固い豪族たちは「流刑人」である事を重視し、
その息子達は「源氏の御曹司」に惹かれて行く。
そして頼朝の良さをオヤジ達に分からせたいと望んだ。
頼朝の良さは会えばわかると、そう信じていたからだ・・・

伊東祐親(いとうすけちか)の次男 祐清(すけきよ)
北条時政(ほうじょうときまさ)の長男 宗時(むねとき)も同じ思いを抱いた。
父親に頼朝を理解させようと模索し、自分の妹を頼朝に会わせて既成事実を作ろうとした。
それは、頼朝に惚れ込み、頼朝との関係を模索した結果、
叶うなら自らが頼朝の兄になろうとしたからである。
妹を持つ男性諸君なら理解できるだろう・・・自分の妹を紹介する事がどんな事を意味するか!?
彼らがどれ程に頼朝に惚れ込んでいたかが分かるはずである。
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2011年07月11日

源頼朝の三歩後ろ

源頼朝の義理の弟でありながら北条義時は
決して頼朝に寄生する事はなかった。
周囲の者がどう思っていたかは分からないが
おそらく義時本人はそう心掛けていただろう。
頼朝を源氏の御曹司だからと祀り上げる人間は沢山いたが、
その様子を見る度に義時の気持ちは冷めて行った。
父や姉などの身近な人間までもが頼朝を持て囃すのを見て
彼は心に決めていたに違いない。
決して自分だけは寄生しないで居ようと・・・。
頼朝を3歩後ろから見て来た彼は「するべきは寄生ではなく利用だ」と
思っていたに違いない。

そんな義時をまた更に3歩離れた所で見ていた男がいる。
勿論 三浦義村である。この二人には、お互いの事は全てお見通しだ・・・。
自分を暗殺しようとした男が平然を装い目の前に現れて
分かりきった事件の報告をする。
何も命令しなくても実朝暗殺の犯人を三浦は斬り捨てるだろう?
そうしなければ三浦に不利な証言を公卿がするからだ・・・
もし自分が「殺さずに捕えよ」と言ったりすれば
三浦が困る事は目に見えている。

今は三浦に逃げ道を与えよう。
それが一生を費やしても返せない程の恩を与える事になる。
この先、どんな事態になろうとも二度と北条に逆らう事は出来ないだろう。
言葉少なな緊張の時間がそこに流れていた。
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2011年07月04日

源頼朝を観察した二人

源頼朝のやり方を少し離れた所から全て見て来た北条義時。
兄の泰時が流刑人 頼朝の住む蛭ヶ小島に足繁く通っていた時も、
姉の政子が源氏の御曹司にすっかり魅せられていた時も…。
そして父 時政までが婿殿に大きな期待をし野望を抱いていた時も
彼だけは冷静に頼朝を観察して来た。
そしてその義時が最も本音を語れる相手が三浦義村だったろう。
三浦もまた、義時よりも更に離れた所で頼朝を観察して来た。

2人はお互いの行動を、性格を誰よりも知っている。

実朝暗殺計画で、本当に狙っていた相手が
実は死んでいないと知った義村は 直ぐに北条の屋敷に姿を見せた。
それは黒幕が自分で無い事を証明するための行動だろう。
しかし義時もそれに気付かない程の馬鹿ではない。
会いに来た義村との間にどんな会話が交わされたのだろう?
何とも言えない寒気をそこに感じるのは私だけだろうか。

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2011年06月23日

源頼朝よりも強かな義時

源頼朝の創った鎌倉幕府は、頼朝亡きあと妻の政子が引き継いだ。
それが世間一般的な認識である。
確かに政子の存在は幕府と武士の絆を深めるためになくてはならない。
若き日に源氏の御曹司と結ばれる一介の豪族の娘の事を
誰しもが自分の事の様に、自分の娘の事の様に喜び、
頼朝の浮気がばれて政子が激怒する度にハラハラドキドキさせられた。
だから頼朝亡きあとは、政子の言葉が頼朝の言葉である。

しかし、現実には政子が行った政など殆どありはしない。
強いて言うなら頼朝が生前に強く望んでいた鎌倉大仏を建立した事ぐらいだろうか?
常に政子の傍らには弟 義時がいて、言い難い事は全て姉に言わせ、
義時の考えるままに政は進められている。
執権なのだから当たり前の気もするが、じっくり観察してみると
彼は常に裏に潜み、都合の悪い事は全て姉 政子や、甥 実朝に言わせたり
やらせたりして、結果自分の思うままに動かしているのである。
でなければ共に戦って来た畠山氏や和田氏を政子が滅亡させるはずがない。
三浦が暗殺さえも計画するほど怯えた相手は間違いなく
北条義時なのである。

posted by KANCHI at 14:15| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

源頼朝のやり方は源氏のやり方

源頼朝の直属の家来達は頼朝亡きあと次々と消えて行った。
その事は前にも詳しく書いたが・・・
彼らを鎌倉から追放したり滅亡へ追い込んだのは北条である。
消さなければ消される・・・それは正に頼朝のやり方であり。
源氏のやり方である。
その昔 平氏は源氏によって滅ぼされたが…
源氏は源氏によって滅んでいった。
北条は次々と共に戦って来た味方を滅ぼしながら・・・
最後に北条と三浦が残った。
三浦は追い詰められていただろう…。
消さなければ消される・・・からだ。
だからこそ「計画A」を思い切れたのだろう。

しかし計画が失敗に終わり、北条義時が生きていると分かった瞬間に
三浦は「計画B」を速やかに遂行、北条館に向かった。
北条の命令を受けるという形で実朝暗殺の犯人 公卿を斬る。
たとえ北条からの命令が無くとも三浦は公卿を斬ったであろう。
三浦が生き延びるにはその方法しか残されていないからである。
posted by KANCHI at 13:00| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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