2011年05月12日

源頼朝を足掛かりに

源頼朝を旗印にして平家に反旗を翻した武士達の本心を
考えた事があるだろうか?
歴史上の人物を思う時、私たちはついつい時代劇や映画でも見る様にして
先ずは物語の主役を決めてしまう。
ここではつまり「源頼朝」の事である。
しかし現実に私達が生活している時、さて貴方は主役だろうか?脇役だろうか?
では もし自分自身が脇役だと感じていたとしたら、
貴方にとっての主役は誰だろう?・・・時の総理大臣?それとも会社の社長?
もしくは貴方の伴侶?・・・そう、つまりその殆どの場合は
自分自身を主役と思って生きているのではないだろうか?
それは極 自然な事である。

おそらく当時の武士も同じ事だろう・・・
自分は源頼朝の脇役だと認識して暮らしていた者は殆どいなかっただろう。
もし居たとしたら、それは本当に特別な安達盛長などの側近だけだったに違いない。
皆、頼朝の為に戦ったのではない。・・・源氏再興だと言ったのは
やる気のない流刑人 頼朝にやる気を起こさせるための口実だ。
殆どの武士が本当は頼朝のために戦いを決意したのでは無い。
自分や自分の一族のために、むしろ頼朝の持つ「源氏の御曹司」という肩書を利用し
頼朝を足掛かりにしようと考えていたに違いない。
おそらく それが現実だろう・・・。
posted by KANCHI at 09:07| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

源頼朝よりも強かで賢く

源頼朝暗殺計画の影の首謀者が三浦だったと仮定し、
更に源実朝暗殺計画の首謀者もまた三浦だったと仮定すると、
そのどちらも、本当に狙った相手、つまり北条は殺せなかったのだから
三浦は目的を果たせず、失敗した事になる。
本来ならば今、北条が立つ位置に三浦はいなければならない。
坂東武者の本拠地で源氏を頂点とし、誰よりも早く頼朝の為に戦い、
坂東武者を束ねて来たのだから、もっと頼朝から珍重されて良いはずだが
頼朝のそばには北条がピッタリくっついていて取り入る隙もない。

そもそも流刑人を旗印にして現勢力に立ち向かおうと決心したのだから
その時点で彼らには一族間を越えた一体感はあっただろう。
誰が1番で、誰が2番などと言う一族同士の争いの気持ちは
当時は持ち合わせていなかっただろうし、
そんな風に思っていたら結果を残す事も出来なかったに違いない。
しかし、一旦勝利を収め目的を果たしてみると、
そこには明らかに得した奴と損した奴がいた。
得した奴 北条に、損した者たちがどんな感情を抱いたかは
誰にでも想像が付く・・・三浦は損まではしなかったのかも知れない。
ただし「得をした」とも感じてはいなかっただろうし
損せずに…もっと得する方法を模索し、
そのチャンスを淡々と狙っていた。
強かで賢い一族である事は明らかだ。
posted by KANCHI at 11:40| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月05日

源頼朝を選択した日の様に

源頼朝に一族の運命を賭けた時から三浦の苦悩は始まった。
源頼朝のために戦い、城を失い、主まで失った。
それでも尚、海を渡り頼朝にしたがった・・・。
それは坂東武者のプライドの様なものだったのか?
平氏を中心とする世の中では、三浦は死んだも同然だったのか?
三浦らしく生きるには源氏でなければならなかったのだろうか?
大きな賭けに出た三浦一族の覚悟の良さみたいなものが見えてくる。
どこか一族の苦悩を楽しんでいるかの様にも見えてくる。

鎌倉に幕府が置かれた事で結局 頼朝に賭けた三浦の選択は正しかったが
それで三浦は三浦らしく生きられたのだろうか?
ずっと耐えて来た様に感じるのは私だけだろうか?
あの日、頼朝に運命を賭けた時の様に、
三浦らしい大きな賭けをして欲しいと思うのも私だけだろうか?
大胆にそして慎重に、三浦は長い間チャンスを狙い続け
何度かそれらしい賭けに出たが、状況が不利と分かると
またすぐに慎重な三浦に戻ってしまう。
しかしそれが一族の長生きに繋がっているのかも知れない。
1番になり短く生きるより、2番になって長く生きる事を
三浦は選んだのか?それとも2番を選ばざるを得なかったのか?
posted by KANCHI at 07:19| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月02日

源頼朝に全てを賭けた三浦一族

源頼朝が流刑人として伊豆に来たからといっても
多くの人々はその流刑人に長い間 関心すら示さなかった。
しかし少年だった頼朝が青年に成長すると同時に
世の中の流れが大きく変わっていった。
それは平氏への不満、不信感だっただろう。
特にこれまで戦う事で力を蓄える武士達にとっては
平氏の政は理解を得られなかっただろう。
戦わずして暮らしが安定し楽になるなら文句はないが
楽しそうに暮らしているのは平氏だけに見えたに違いない。
「平氏であらずんば人にあらず」と言われるこの暮らしを
何とか変えたいと望み、その旗印に成り得るのが流刑人 頼朝だった。
しかしいつの時代も若者に未来を託すのは勇気がいる事だ。
それを見事にやってのけたのが三浦一族だと言える。
歴史ある一族が頼朝を選択した事は、周りの迷っている者に勇気を与えた。
城を奪われてまでも一族の運命を頼朝に賭け、そして時代まで変えてしまった。
三浦は目立たないが凄い一族なのである。
目立つ方の北条も三浦には一目も二目もおいていた。
このまま目立たないままで・・・良いはずがないではないか?!
私なら そう思ってしまう。
posted by KANCHI at 02:29| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

源頼朝の生前も死後も

源頼朝亡き後、揺れ動いた鎌倉幕府を動かした一族、
それが北条であり、三浦であろう。
もっと正確に言うなら源頼朝の生前から鎌倉幕府を動かしていたのは
実は周りの豪族であり、その中で中心的存在だったのが三浦である。
もしも豪族の組合が存在したなら、その委員長は三浦であっただろう。
しかし頼朝との関係が深かった北条が委員長に立候補した。
三浦は北条に委員長の座を譲った様なものだ。
縁の下の力持ちに徹しようと三浦は考えたのか?
それとも縁の下の力持ちを演じようとしたのか?
しかし…三浦がその後も北条を支え続けているのは事実である。

源頼朝と北条時政の暗殺計画の時も見方によっては首謀者とも思われる三浦は
結果として大庭氏、岡崎氏を裏切る形となったし、
畠山氏を討った時も、同じ一族である和田氏を討った時も、
友人や身内までを裏切りながら北条側に付いてきた。
しかし、その選択の様子は常に究極で、苦肉である事が気に掛る。
いつでも三浦は喜んで北条を選んでいない。
そこまで苦しみながら三浦が北条を選ぶ理由は何だろう?
そして その苦しみはいつか報われると、三浦は信じていたのだろうか?
posted by KANCHI at 10:24| Comment(0) | 頼朝の家来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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