2011年09月15日

源頼朝の噂

源頼朝に冷酷非道のレッテルを貼った平家の落人達は
今は亡き源頼朝を悪く言う事で自分達を正当化し、同情をかって里に暮らした。
山奥に暮らした先祖の、その恨みでも晴らすかの様に
頼朝批判はエスカレートしただろう。
それは、仕方ないと言えば仕方ない事だろう。源氏と平家は敵と味方なのだから…
しかしその冷酷非道のレッテルを定着させたのは頼朝の敵では無かった。
追い打ちを掛けたのは味方であるはずの源氏だろう。
前にも話したが、源氏は「一族」と言う意識がうすい…
長い歴史の中で源氏同士は戦い続けて来た。
源氏の中のトップになるために兄弟であろうが親子であろうが
油断できない環境にあった。
他人の誰かが頼朝を冷酷非道だと噂しても、そこに立ち会った一族の誰かが
「そんな事はないよ」とかばえば、噂は止まるかも知れないが
「あいつにはそんな所がある」と言ってしまえば、言葉の意味以上に拍車が掛る。
否定しないには、それなりの訳があると他人は思うだろう。

源氏でありながらトップに成れなかった者のヒガミや義経側にいた者や
更には奥州の藤原氏についていた者など…頼朝の事を
「あいつにはそんな所がある」と言う人間は残念ながら多かっただろう。
私は一族ではないが例え誰が頼朝の噂をしても「そんな事はないよ」と言い続けたい。
posted by KANCHI at 10:01| Comment(0) | 頼朝の敵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

源頼朝に感じる

源頼朝という冷酷非道な男がいて…と頼朝の死を知った落人達は語り出す。
人は誰でも自分を正当化するものだ。
それは落人達が里で暮らすために必要な事だったのだろう。
それまで散々、人と接する事を避け 山奥で暮らしていた者が
突然、人の暮らす里に来て住むとなれば、よほどの理由が必要だった。
そこに暮らす理由と、山に暮らしていた理由だ…。
「見付かれば殺される」だから逃げたし、隠れたし、人を避けたのだと。
その説明をするたびに源頼朝にレッテルが貼られてゆく。
「どの位 冷酷かと言うと…」話しは弟 義経殺しまで至っただろう。
何をどんな風に言われても頼朝には反撃出来ない。
頼朝はもう、この世に居ないからだ。
例え生きていても頼朝は言い訳などしない。

それに、頼朝がそうなったのにはちゃんとした理由がある。
もしも私が、頼朝と同じ環境に生まれ、育ち、同じ経験をしたら
同じ事をしただろう…。
それは私が冷酷非道だと言う事だろうか?
…深い愛情を持ち、強い心を持ち、常識のある人間だと思っているが、
そして頼朝にもそれと同じものを感じている。
posted by KANCHI at 09:44| Comment(0) | 頼朝の敵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月08日

源頼朝に吠える

源頼朝が生きている間、平氏は逃げ、隠れて暮らした。
生き延びるために あまりにも逃げ過ぎて、
都で起きている事どころか、世の中の事全てが分からなくなっていた。
しかし、風の噂なのかどうかその経緯は分からないが、
鎌倉で頼朝が亡くなった事、源氏が3代で終わった事、
世の中の流れを知る事となる。

そして恐る恐る山奥から里へ、里から都へ住む場所も変えて行っただろう。
逃げていたくせに、負け犬達は吠え出す。
自分達がなぜ山奥に暮らす事になったのかを・・・
山奥に追いやった奴が源頼朝であると言う事を・・・
それはまるで、今まで耐えて来た分を取り戻すかのように。
自分達を正当化するために多くの言い訳をし、
頼朝の残酷さを思い切りアピールして来たのではないのか?

平氏である事を強調すればするだけ
源氏の残酷さがクローズアップされる。
屋敷も、土地も、地位や名誉も与えられ
そうして源氏は冷酷非道のレッテルを貼られたのだろう。
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2011年09月05日

源頼朝 レッテルのタイミング

源頼朝が生まれる前から源氏は「武士の中の武士」だったが
頼朝が鎌倉幕府を開いた事で、源氏のブランド化は進み、
武士であるなら源氏でなければ本物ではないイメージが定着した。
皆 競って「源氏の流れをくむ」と無理やり言いだした。

実際は頼朝が亡くなり、源氏は3代で終わるが
源氏ブランドの風潮は消えず江戸時代まで、そして現代にも通じている。
あの徳川家康も征夷大将軍のなるために自分の家系図を改ざんした事も有名な話だ。
では平氏はどうだろうか?
単純に考えれば、源氏が本物として持て囃されるなら、
相対する平氏は敬遠されそうに思うが、時代によってはそうではない。
全国各地の山奥に平家の落人村が存在する一方で
平家の末裔である事で珍重され財を築いた者も少なくはない。
平家である事を隠し、身を潜めて暮らして来た人々はいつ
どのタイミングで持て囃される様になったのだろう?

私の住む石川県にも平家の末裔が多い。
能登の輪島市の「時国家(ときくにけ)」などはその代表である。
加賀藩の大庄屋を務め名字帯刀を許されていた。
<参考サイト>
http://www.hot-ishikawa.jp/page/yoshitsune/yukari/tokikunike.html
流刑されて能登に身を潜めて暮らして来た彼らが、一体どのタイミングで大庄屋となったのか?

もしかすると、そのタイミングこそが、頼朝が冷酷非道のレッテルを貼られた
その時なのではないだろうか?
posted by KANCHI at 10:49| Comment(0) | 頼朝の敵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

源頼朝の時代徐々に

源頼朝によって山奥の秘境へ落ちる事を余儀なくされた平氏は
女 子供に至るまでただひたすら生き残るための努力をした。
逃げていてもどこに源氏が居るか分からないし、誰が敵で味方かも分からない。
自分たち以外は全て敵だと思うしか生き残る術は無かった。
人に会う事がすでに恐怖だったに違いない。
人の住まない山奥に自分達だけで暮らし、村を開いた。
そして暮らしている事を隠すために鶏も飼わず、幟も上げず、
子供が生まれても表向きには祝もせずに生きて来た。
生まれてくる子供達には人間は恐いものだと教えただろう…
もしかすると熊に遭遇するより人間に遭遇する方が怖いと思っていたかも知れない。
西に熊、東に人間と同時に出会ったら熊のいる西に逃げたかも知れない。
1人が見つかればそこに住む一族を危険に曝す事になる。

そうして暮らしているうちに時は流れ、時代は変って行ったが
里の人達と交流の無い落人にはそれが分からない…
源氏を恐れ、人を避けて暮らすうちに源氏は滅び
源氏の時代も終わったが…彼らには その事を知る事すら出来ない。
ただ平氏である事のプライドだけを捨てずに山奥で暮らして来た。
そんな暮らしに終わりが来たのは、一体いつだったのだろうか?
posted by KANCHI at 09:35| Comment(0) | 頼朝の敵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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