2010年08月30日

源頼朝の強運尽きる

源頼朝を知れば知るほど その不思議な力を感じる。
源氏の嫡子として生まれてきた事がそもそも強運だが
12歳で官職にまで就きながら間もなく平治の乱で初陣。
その戦で いきなり敗退し父や兄を失いながらも
流刑人として生き残る・・・。
ただ流刑人らしく 静に暮らしていただけなのに
多くの家来が集まり その頂点として動き出す。
石橋山の合戦では再び敗れ 命からがら逃げたにも係わらず
流れ着いた房総では多くの味方を得て
遂に鎌倉幕府を開き、念願の征夷大将軍となり・・・
全てが不思議な力に導かれて起こった事に思える。
その力は「神」が起こした事なのか?
それとも亡き父が「仏」となって起こした事なのか?

何故なら・・・征夷大将軍となってからの頼朝は
それまでの頼朝とはまるで違う・・・
不思議な力を失った様に感じてならない。
自らの知恵と力で得るものでは無く
「楽して儲ける」精神が芽生え始めた気がする。
莫大な付け届けと自分の娘の政略結婚で
永遠の権力と権威を手に入れようとした。

それを望んだから彼は命を失ったのか?
本当の望みではなかったから 叶わなかったのか?
神か仏かは分らないが・・・頼朝はいきなり
それまでの強運から見放された様に思えてならない。
posted by KANCHI at 10:38| Comment(2) | 頼朝の政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月06日

源頼朝の妻 政子の政治

源頼朝の思いが鎌倉幕府を動かし、承久の乱は勝利した。
頼朝の妻 政子を中心に鎌倉幕府の武家政権は確立して行ったが
乱から3年後の元仁元年(1224)6月13日、執権 北条義時が急死した。62歳だった。
その死については諸説あるが、あまりに突然だった事から勿論 毒殺説もある。
そして その毒殺犯として疑われているのが あの三浦義村だ・・・。
ここにも実朝暗殺の首謀者と疑われている理由が潜んでいそうな気がするが
残念ながら義時亡き後の三浦義村が得をした事実は存在しない。
次の執権職を巡り三浦義村は自分に有利になる様に裏工作を行ったが
怪しい行動を事前に政子に知られ見事に阻止されてしまった。
政子がその生涯で最後に鎮めた内乱だった。

義時の後を継ぎ「執権」となったのは義時の嫡男 泰時(やすとき)である。
それを決めたのも頼朝の妻 北条政子だった。
泰時の誠実で謙虚な性格に鎌倉幕府の安泰を確信したのである。
北条政子の父 北条時政から始まった「執権職」は
北条政子の弟 義時に引き継がれ、そして政子の甥 泰時のものとなった。
その後 鎌倉幕府の執権は16代 守時(もりとき)まで北条氏が継ぎ
あの後醍醐天皇をはじめ足利尊氏などが活躍する南北朝時代まで
北条氏による「執権政治」は およそ100年もの間続いて行くのである。
posted by KANCHI at 09:19| Comment(0) | 頼朝の政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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