2012年05月10日

源頼朝の一言で

源頼朝の語りの中でも最も気に入った今回の一言は最後の最後に言った言葉だ。
ドラマの中で多くの登場人物が口にした「帝のご容態カンバシからず」を散々承けた後の
都の事態カンバシからず・・・」だろう。
なぜならば・・・
鳥羽院の気持ちを改めて考えてみよう。
鳥羽院の父は堀河院だ。マジメを絵に描いたほどに政に取り組んだが若くして病で亡くなった。
鳥羽院が5歳の時だ・・・その父の後ろには常に白河院が控えていて政に口を挟んでいたが
堀河帝 亡きあと たった5歳の鳥羽帝を即位させたのも、現実に政を行ったのも白河院である。
頼りにしたい父は無く、頼りにしたくなくても白河院が居て、5歳の鳥羽帝は従わざるを得ない。
そして白河院の言うがままに迎えたかった妻を諦め、白河院の薦めるままに妻を迎えた。
それが白河院のお古、璋子 待賢門院である。
爺様が自分のお古を孫に押し付けたのだ・・・想像して欲しい。
例えそれが高級なセーターでも私なら爺様の着ていたセーターなど着たくない。
そのセーターを着て誰かに誉められても嬉しくない。
そしてそれはセーターではない。お古の妻だ・・・
貴方は着れるか?爺様がくれた高級で素敵だけどお古のセーター。
そしてくれた後も、時々 爺様がそれを着てお出掛けしている・・・貰ったけど
自分の物ではない様に感じながら「ありがとうございます」と言わされてる。
明らかに自分よりも爺様の方が似合っているセーターだ。

鳥羽院が水仙の花を蹴散らすシーンを覚えているだろうか?
あの時の姿が、鳥羽院の本当の姿だったのではないだろうか?

やがて妻は子を産む、生まれて来た子が崇徳だ。
お古のセーターにお揃いのマフラーがついてきた。
いくら生物学や科学を知らないこの時代でも、それが自分の子かどうか
顔を見れば判るだろう?
生れてくる赤ん坊は父親に似て生まれてくるという・・・
勿論、鳥羽と白河は孫と祖父の関係だから どちらに似ても同じ顔だったかも知れないが
心当たりがあるだろう?コウノトリが運んで来る訳でもあるまいし。
少なくとも鳥羽院には分かったはずだ、それが誰の子か。
その子が成長すると爺様がまた その子を即位させたいからお前は退位しろと言い出し
鳥羽院はそれに従う。・・・あっさりクビだ。
崇徳は言った「世捨て人の如き暮らしを強いられ待つ事13年・・・」と
しかし鳥羽院は5歳の時から白河院が亡くなるまでの21年の間、捨てられ耐えて来た。
その反動があって当たり前だ・・・

21年間 お古のセーターとマフラーで我慢し、生まれて初めて新しいセーターを買った。
前に欲しかったが反対されて買えなかったセーターと
そしてもう一枚 自分に似合う、自分で選んだセーターだ。
21年耐えた者が、たった13年を嘆く者を許す必要があるのか?
それを許す必要を感じただろうか?
まだ8年・・・足りないだろう?許すと感じるには・・・

鳥羽院が次の天皇に選んだのは 雅仁ではない。雅仁の子 守仁(もりひと)親王だ。
しかし、その守仁を即位させるには雅仁を中継ぎにするしかなかったのだ。
雅仁は鳥羽院にとって ただの中継ぎでしかなかったのだ。
崇徳を許していないからこそ、許す気がないからこそ、鳥羽院は究極の選択をした。
究極の選択をする事で崇徳に「許さない」と断言したのだと私は思っている。
少なくとも私は鳥羽院の良き理解者だと思う。鳥羽院の選択を責めたりもしない。
ただ、不幸だった事は、崇徳院が政に対して想像以上に熱意を抱き野望を持ち続ける
熱い男だったと言う事だ・・・その思いが保元の乱や平治の乱を引き起こす。
それが頼朝の言う「都の事態カンバシからず・・・」という事だ。
posted by KANCHI at 01:10| Comment(2) | 頼朝の思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

源頼朝が成し遂げた事?

源頼朝に冷酷非道が定着したのと同時に、皮肉だが
平家の暮らしぶりは安定して行ったのではないだろうか?
長い長い落人村生活からの復活を平家は遂げ、
壇ノ浦では海に沈み、平家物語の中で滅亡一族の代名詞にされた平氏が
結局は歴史上の勝者となった。
本当の勝者は源氏のはずなのに、源氏よりも平氏の方に良いイメージが残った。
そしてまた来年の大河ドラマで平氏のイメージはアップする事に・・・間違いはない。
源頼朝の父 義朝は都で天皇の厚い信頼を得て、隆盛を極めながら
源氏と平氏の格式の違いに悩み、いつか平氏の様になりたいと強く望んだ。
そして その思いを三男 頼朝に託し死んで逝った…。
頼朝は父の想いを受け止めて、戦に戦を重ね 平家を滅ぼし
更に叔父・イトコ・兄弟を殺してまでも征夷大将軍になって父の思いを成し遂げたと言うのに、
その苦労はいったい何だったのか?
冷酷非道のレッテルを貼られた頼朝、兄に疎まれ死んだ可愛そうな義経、
身内同士で殺し合う一族 源氏。
義朝が悩み苦しんでいた頃のイメージと これではまるで一緒ではないか・・・

なのに私はなぜ、こんなにも頼朝に心惹かれるのだろうか?
posted by KANCHI at 11:01| Comment(0) | 頼朝の思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月25日

源頼朝の予想通り

源頼朝は遺言も残さず逝ってしまった。
勿論、死ぬ間際まで頼朝にも野望はあっただろうし、
思う様に事が進まず、もどかしくも思っていただろう。

源頼朝の気持ちを想像すると・・・
自分が開いた鎌倉幕府を自分の息子に継がせる事は
おそらく諦めていただろう。
自分と同じ比企氏を乳母父に選んだ頼朝にとっては、
頼家は政子が思うよりも可愛かったのでは無いだろうか?
しかし、その頼家は実家であるはずの北条を毛嫌いしていたし
政子の心も頼家から離れて行っていると、頼朝は感じ取っていただろう。
それに もう一人の息子 実朝は優しすぎるし野望を持つタイプでもない。
鎌倉は北条のものになるだろう…そう思っていたと私は思う。

だからこそ頼朝は息子ではなく娘に大きな期待をかけたのかも知れない。
後鳥羽院に嫁がせ、自分こそが天皇の父になろうとした。
しかし、叶うはずがない。
どの程度真剣に頼朝はそれを望んでいたのだろう?
それは誰のためだっただろう?
鎌倉の武士たちのためか?後に残る息子達のためか?
もしくは単なる自己満足のためだったのか?

私には頼朝の本心が見えて来ない。
私にはどうしても頼朝がそれを本気で望んでいた様にも思えない。
武士達を安心させるためのパフォーマンスにも見えてくる。
頼朝には、遺言は必要なかったのだと思う。
そしてあの世で、満足げに笑っている様に思える。
「思ってた通りだ!」と言って・・・。
posted by KANCHI at 18:02| Comment(0) | 頼朝の思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

源頼朝の裏切りの理由

源頼朝が恩人 九条兼実を敵に回したのには・・・
と言うよりも 回さざるを得なかったのには理由がある。

朝廷内で九条兼実は権力を失いつつあった。
最も大きな原因は娘 任子を後鳥羽天皇に嫁がせた事になり
源通親との間に権力争いが起きた事である。
建久7年(1196)11月には関白職を追われてた。
もともと朝廷は武士を嫌っている。
その朝廷内にあって頼朝びいきだった唯一の人物が兼実だった。
その兼実が権力を失ったのでは頼朝の立場も危うくなる。
頼朝が朝廷内に影響力を残すためには
朝廷内に強い味方が必要である・・・しかし今更 誰も頼りには出来ない。
頼朝は直接 自分の娘を天皇にと継がせる事で
自分自身を朝廷内の強い味方にしようと考えたのではないだろうか?
他に方法が見当たらず 苦し紛れの強硬手段だった様に思える。

九条兼実との権力争いで勝利しつつある源通親に近付き
通親と通じる丹後局(たんごのつぼね)に政子を通じて莫大な付け届けをし
頼朝は事を急いだが叶わなかった。
そもそも 事を急いでいたのは頼朝だけで他の誰も急いでいない。
もともと朝廷側には頼朝の娘を受け入れる気など さらさら無かったのである。
posted by KANCHI at 09:39| Comment(0) | 頼朝の思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

源頼朝が見失ったもの

源頼朝は自分自身の事をどれだけ分っていたのだろう?
人は他人の事は良く見えるが 自分の事は意外に見えていない。
それが本来の人間というものかも知れない。
冷静に人間を観察し、その心理までも読み取るのが得意な頼朝も
自分の事となると話しは別だろう・・・
それでも生き延びる事に必死だった流刑人の頃の頼朝なら
見えにくい自分自身を必死で見る必要に迫られていだろうが
やがて多くの武士を従え、更に征夷大将軍となってからは
誰も頼朝に逆らったりはしない。
それが頼朝自身を見る機会を失わせたであろう事は明らかである。

過去に自分が滅ぼした平氏と同じやり方で、娘を天皇に嫁がせて
頼朝はその結果、何をしようとしたのだろうか?
天皇の父となり やがて祖父となれば朝廷を動かせると思ったのだろうか?
それとも武士である事を捨て 自らが天皇にでもなろうとしたのか?
もしかすると本当は無理な事だと知っていながら
更に何か大きな事をしようとしている振りをしていただけなのか?
平清盛がやろうとした事を自分なら出来ると
もし頼朝が本気で考えていたとしたら
頼朝は自分自身がちっとも見えていなかったという事である。
posted by KANCHI at 02:58| Comment(0) | 頼朝の思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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