2012年05月17日

源頼朝の時代の乳母とは

源頼朝にも乳母がいた。是までにも、何度もこの時代の乳母について書いているが
乳母」は「うば」とも「めのと」とも読む。
生まれて来た大切な子にお乳を飲ませるのが本来の役割だが乳の出ない「乳父」もいた。
乳の出ない父だ・・・(笑)やや ややこしい。
つまり「めのと」は乳を与え、教育し、その生涯に亘って経済的にも支える・・・親以上に親となる。
源頼朝の乳母は比企尼・・・血の繋がりがないからこそ心で強く結びつけるのかも知れない。
http://yoritomo.seesaa.net/article/150150272.html
頼朝以外でも乳母の話しは何度も触れた・・・
頼朝の息子 頼家の乳母 比企や梶原景時の隆盛も、衰退も
もし彼らが乳父でなかったら有り得なかっただろう。
頼朝の弟 全成も三浦一族も もし乳父でなければ野望を抱く事も疑いをかけられる事も
有り得なかった。
多くの乳父たちは日本の歴史を動かして来たのかも知れない。

義平も乳母のために叔父 義賢を殺した事は前回のブログで触れたが。
今回 どうしても注目せざるを得ないのが雅仁親王の乳父、信西だ。
雅仁の即位は信西の策略に他ならない。
実はドラマの始まりにのちの信西を阿部サダヲが軽快に演じているのを見て思った事がある。
私の知る信西はコンナではない!いつ彼を変貌させ、信西らしくするのか?と・・・
そしていよいよ その時が来た様だ。
信西が、信西らしく成ってきた。個性派 阿部サダヲに信西を演じさせたその意図を
いよいよ見届ける時が来た様だ。
しかし疑問もある・・・ドラマの中の高階通憲、若き日の信西は
すっとぼけたキャラクターで清盛の前に現れたが
現実の信西はそうでは無かったはず、つまり見るからに野望を抱くイヤな奴に見えたはず。
どの様にして清盛に近づき、清盛はそれを受け入れたのか?
お互いに惹かれ合うモノがあったのだろうか?それは何か?
権力が先か?野望が先か?・・・とにかく今後の信西から目が離せない!
posted by KANCHI at 00:26| Comment(0) | 頼朝の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

源頼朝の乳母「比企尼」

源頼朝の誕生は頼朝の父 義朝や母 由良御前は勿論の事
周囲の者に大きな期待と希望を与えただろう。
今をときめく源氏の嫡流の誕生である。
「是非 私に乳母を!」と願い出る者も多かったに違いない。
多くのライバルを差置いて幸運にも乳母の座を手に入れたのが比企尼・・・
比企一族の勝利!一族の将来は約束された様なものだった。
頼朝は周囲の期待通りに成長し12歳で元服し
皇后宮権少進(こうごうぐうごんのしょうしん)という官職についた。
頼朝の出世は乳母の出世である。

しかし間もなく「平治の乱」は起き 頼朝は生き残ったが流刑の身となった。
一度 頼朝の母となり13年も育てて来たのだから
例え先行きの見えない流刑人であっても支えなければならない。
比企尼はそれをやり遂げたのである。頼朝の生活を支え、全てを支えた。
期待の星「頼朝」の復活!源氏再興を誰よりも強く願っていたのは
この比企一族だったかも知れない。
現に流刑人 頼朝と共に伊豆に同行し身の回りの世話をした安達盛長も
早くから家来となった河越重頼も
伊東祐親の息子でありながら頼朝を支援した伊東祐清も比企尼の娘婿たちである。
比企尼は頼朝の為に出来る限りの力を尽くし
その生涯を頼朝の母として生き抜いたのである。
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2010年05月17日

源頼朝の乳母事情

源頼朝ほどの血筋であれば乳母がいるのは当たり前である。
産みの母 由良御前は頼朝を産んだだけで、
おそらく生まれて直ぐに頼朝は乳母の元に引き渡され育てられた。
どうやら乳母(めのと)は数人いて 実際に乳を与える者の他に
教育を担当するのが主な役割だった。
つまり乳母チームが結成され そのリーダーを乳母と言った。
源頼朝の場合は比企尼(ひきのあま)である。
乳を与える必要がなくなっても乳母の屋敷で育てられる事が通常で
産みの母に会う事は殆ど無かったらしい。
後継ぎとして生まれた男子にとって「母」とは産みの母の事では無く
育ての母「乳母」の事を指すのである。

事実 頼朝が伊豆に流刑になってからの生活は経済的に比企尼が支えた。
多少は由良御前の実家 藤原季範からの援助もあったらしいが
その援助をお願いしたのも比企尼だった可能性がある。
現在の私たちにしてみれば「他人なのにどうしてそこまで?」と思いがちだが
乳母は実母よりも深い関係にあったのである。
特に頼朝の場合には 実母 由良御前が早くに亡くなっているので
実母との関係は薄くなり
乳母リーダー比企尼が頼朝の命の鍵を握っていた。
比企尼が支えたのは経済的なものだけでは無かったのである。
posted by KANCHI at 09:43| Comment(0) | 頼朝の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

源頼朝の乳母

源頼朝が20年を過ごした伊豆での生活の様子は
いまだ謎だらけで想像の域を出ない。
大河ドラマ「草燃える」の第1話「蛭ヶ小島の流人」でも
登場した頼朝は既に30歳を過ぎていて北条政子と出会う寸前である。
それなりの屋敷に暮らし読経専用の建物もあり
馬も飼い 安達盛長の他にも佐々木氏の息子2人などが
まるで家来の様に頼朝のお世話をしている・・・という設定になっている。
伊東祐親の娘 八重姫との事は 話しの中に登場するだけで
女好きの頼朝が軽い気持ちで八重に手を出し伊東祐親を怒らせた。
という様なニュワンスで描かれている。

前にも描いたが・・・頼朝の流刑生活には読経に明け暮れる少年期と
警戒しながらも行動を起こす青年期の2つの時期がある。
大河ドラマでは既に青年期からが描かれていて
まるで頼朝が苦労知らずのお坊ちゃまの様に描かれているのが
頼朝を愛する者としては 少し不満が残る。

未来の見えない頼朝の生活を陰で支えた人物がいる。乳母の比企尼だ。
当時 乳母の存在がいかに重要であったかも もっと描くべきだろうし
流刑生活の貧しさを頼朝が少年時代に感じ、それと同時に
その生活を支えた比企尼に対する感謝の思いも描くべきだろう。
生活を支えた「比企」と気持ちを支えた「北条」の
それぞれの立場が分れば その後の「比企」と「北条」の関係も明らかになる。
posted by KANCHI at 09:41| Comment(0) | 頼朝の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

源頼朝の描き方

源頼朝を描いた映画やドラマはこれまでにもあったが
実はどの作品にも今ひとつ満足出来ずに現在に至っている。
勿論 頼朝を中心に描かず 悲劇の弟 義経を中心に描いている物が多いので
頼朝が悪役として描かれている場合が多いのも事実である。
そんな作品は仕方ないとしても満足出来ない一番の理由は
頼朝の子供時代・少年時代・思春期が殆ど描かれていない事にある。
確かにちゃんとした記録が残っていないので作者としては描きにくいとは思うが
ドラマや映画や そのもとになつた小説も 所詮は着色されたものなのだから
全て史実に沿う必要は無いのではないか?
多くの作者が頼朝の少年時代を想像し作品に描き、様々な表現をして欲しい。
そして真実がどうだったのか?ああでも無い こうでも無いと
その作品を観た人達にもっと議論して欲しい。

最近 歴女れきじょ)が増えているとの事だが
もっぱら戦国時代と幕末に人気が集中しているのではないか?
今年の大河ドラマ「天地人」でも主人公 直江兼続を妻夫木くんが演じたり
その子供時代を子供店長の加藤清史郎が演じたりとしているではないか・・・
子役が気に入って直江兼続を好きになった人も多いのではないだろうか?
posted by KANCHI at 10:15| Comment(0) | 頼朝の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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